I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 いつかできたらいいこと

人にもっと思う存分
弱さをださせてあげればよかったとおもう。

弱さをだす「相手」にわたしをえらんでくれて
ありがとう・・・



自分が強くて人が弱いとき
ちょっとばかりふりまわされたり
同じように弱いということでしか
相手をなぐさめられなかったりする

でも相手が泣いているときに
一緒になくことだけが
なぐさめる方法ではないかも。
今自分が強いことに奢らず、かといって謙遜しまくらず
自分のある立場から冷静にその人のことを
考えるって方法があってもいいと思う。


自分が弱くて相手が強いとき
うらやましくて背伸びばかりして苦しくなる。
だけど、
わたしは弱いわ「今は」と
期間限定で認めてしまえたときは楽だった。


人の強さにも弱さにも
たじろいだりせずに
たがいの強さや弱さをキャッチボールできたら
どんなにすてきだろう。

いつかできるかな・・・そんなこと。
きっとできそうな気もする。



2002年05月14日(火)



 さりげなく・・・

どうしていつも
さんかくの積み木を
むりやりしかくのいれものに
しまうような
無理を重ねてしまうんだろう。


池に鯉を放つように自然にゆるりと
さりげなく
こころをときはなてたらいいのにね。



2002年05月13日(月)



 ものさし

人からどう思われているかは気になるけど
自分が自分のことをどう思うのかの方が大切。

いつのまにか人からのものさしでしか
じぶんをはかれなくなって
じぶんのものさしをわすれてる。

たぶん、

人はその人の見たいように
物事を見ている。
だからこそ、
「私」の見方がたいせつなんだね。

そして、

わたしが見ている「人」も
私が見たいようにしか見てないってことも
わすれないでいよう。
見ているその人=本当のその人
ではないかもしれないから・・・



2002年05月12日(日)



 忘れていて

いちいち何もかもが照れくさい、はずかしい。

知ってる人が向こうから歩いてきて、
こんにちはって言うには、だいぶ距離が遠いとき。
でも知らん顔ってできない。
相手もこっちもその存在には気づいていて。。。
こんなときは、何処を見ながら歩けばよいのだろう??
ふつうのひとは、どうしているの??
互いが気づいてから、挨拶ができるまでのタイムラグが
とってもはずかしい。

いきなり顔見知りの人に会うのも時と場合によっては恐怖。
エスカレーターでふと気づくと、前に知り合いの人がいたら
上りのエスカレーターでも、迷わず1人下っていくだろう。
肩をぽんぽんってたたいて、挨拶する勇気はあるときとないときと...

こんなわたしでもいっちょまえに立ち話の話に入っているとき。
なんか人と共通の結界にいて、
上手にお茶を濁しつつ表面の気持ちいい会話をする。
なんだか照れくさくって逃げたくなる。

そうそう
お隣に子どものお友達家族が越してきた。
なんだか、窓の開け閉めの音でも存在が伝わるのだなと
思うと、網戸なんかそ〜っとあけたりして。
だけどけっしていやではない。

私の毎日はなんだかおにごっこかかくれんぼみたいだね。

人の記憶のキャッシュにのこるのははずかしい。
みんなわたしのことを忘れていてほしい。
みんな、みんな・・・


2002年05月11日(土)



 心が転んでも

他人のことを非難したくなったり
自分をじりじりといじめたくなったり

そんなときは

こころがやさしさを求めているんだということに
気づいてあげなければね。
それに気づくって実はすごい勇気だよね。

そして、たまには
自分の頭をなでたっていいじゃない?
あたたかい飲み物で自分に
お疲れ〜っていってみるのもいいかな?

そうやって
あしたも生きていこうか。


2002年05月10日(金)



 嗚咽

人前であまりにも自分をおもてにだしすぎた
疲れと不安感から
うちに帰るなり、勝手に意味不明の涙がでてきた。
半分は泣きたくてしかたなかったんだけど・・・
泣きすぎて食事もできなかった。

人と人、何もおそれることなどないと思うのに
どうしてこうも、こころに苦みがはしるのだろう・・・。

すべてはわたしの世界観のせい。


2002年05月07日(火)



 自分イジメ

同じことが同じように起こっても
なんとなく余裕がある人とああ、たいへんなことが!・・・と
思う人といろいろいる。
わたしはまぎれもなく後者。
前者になりたいんだけどね・・・。
ずうっとずうっととてつもなく
なりたいんだけどね。

いつのまにやら、不安と動揺の泡で体中が
満タンになっていて
一呼吸おいて物事を見てみたり
そんな余裕と笑顔が消え去っているのがわかる。
それを無表情で隠しているものだから
なにがなんだかわからなくなる。

他人のすてきなところを見つけると
ああ、わたしはこれをもっていない、あれももっていない
と自分に欠けているところばかりを
自虐的に集中攻撃して自分イジメをしてしまう。
自分イジメはたのしい。
でもかなしい。
だけどたぶん、
あのヒトのよいところを持ってない欠けた部分が
わたしのわたしである所以なんだ。
欠けているところにこそ、自分ってものが隠れているんだと
信じたい。


2002年05月05日(日)
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