I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 嘘つきの価値

他人がウソをつくと
したたかに生きていくための爪を
隠し持っているように見えて
かっこよくさえある。

しかし、わたしがウソを1つでもつくと
どうしてこうもまぬけな
単なる大ウソツキになりさがるのだろうね。

たったウソ1つとってみても
人と優劣がついてしまうのは
いわれもなく
顔の美醜を指摘されたときみたいで
さみしいね。。。


2002年05月24日(金)



 灯り

薄暗くなってから家路についたとき
ふとよその家からさんまの焼けるにおいが漂ったりしてくると
空腹と孤独といろんなことがいっぺんにやってきて
悪いことを何にもしてなくても
なんだかごめんなさい・・・ってあやまりたいきもちになる。


無数にあるかのように見えるマンションの窓も
昼間はこっちを睨んでいるかのように見えるのに
夕方になると
虫食い状に灯りがともる。
その灯りをぼーっと眺めてると
それぞれの人たちがそれぞれの人生に
毎日必死で灯りをともしているのを
垣間見るかのよう。


わたしと違う他人の灯り。
何に必死かはいろいろだけど、
必死で灯りをともす様子に
一瞬同調しようかとおもう。
でもどこかよそよそしげで、硝子のように冷たく
それぞれにあったかい。
同調しようとうらやましかろうと優越感に浸ろうと
そこに一線がある。


さあ、うちに帰ってあかりをともそうか。


2002年05月23日(木)



 愛想笑い

愛想笑いはむなしかったり疲れたりもするけど
案外捨てたもんじゃないかもしれない。

笑っているうちに、緊張がほぐれて
ほんとうに笑ってお話しできたりするときもある。

そして・・・
お互いが不安に駆られないための
保険のようなものなのかもね。



2002年05月21日(火)



 つよい人

自分が追いつめられて1人になりたいとき
勝手に1人になりたいくせに
自分は暗い和室にいて
ふすま1枚へだてた向こうでは
大宴会をやっているような感じがしてしまう。

一人一人の人生なんて
他人に見えているとおりじゃないよね。


どんな状況におかれようとも
じぶんのことをこれっぽっちも
みじめだなんて
思わない人が
やっぱり強いのだろう。

あしたは光の方を向けるかな...

2002年05月19日(日)



 あやつり人形

言いにくいことを伝えなければならなかったり
どう行動したらいいのか自分の本心も
わからなかったりするときは
まわりの人だったらなんて言うか、
どう行動するかを
想像してその操り人形になってみる。
たとえば「断る」という行為がとても苦手なのだけど
あの人だったらこんな風に断るんじゃないかな?という
予測通りにやってみたり・・・
今日は誰とか風、なんてね。

十代のころはそのとき人気のある有名人をそれに見立てて
いたこともあった。
ファンとかじゃ全然ないのだけど、あの人だったらこんな風に
インタビューに応えそうかなと思ってわたしもそう演じてみる。

こういうことをしていると
どうあればよいのか一瞬自信がなくてわからない自分が
麻薬でごまかされるように楽になる
楽になるというか、自分が自分のゴーストになれるので
深く考えるのをやめられる。
物事を深く考えるってことは
いいことばかりじゃない。
考えを深く巡らせてると
自分が自分で用意したぬかるみにどんどんはまっていく。

でもなんか変。
自分の好きな人をお手本にしてるんじゃなくてほんとうは
強烈なイメージをもつ人ならだれでも良いのかもしれないから。

確固とした自分を持つ人とわたしのちがいは何?
人は信じられても
自分の答えに自信を持つやりかたってどんなのだろう?

苦悩は黒々と深く流れる川のようにつづく。



2002年05月18日(土)



 オモテとウラ

人には裏表があってもいい。

裏には裏の
表には表の
あなたなりのこころを

わたしは信じるからね。



2002年05月16日(木)



 理屈かもしれないけど

人との関わりの中で、
どこからが「迷惑」で
どこからが「親しみの表現」なんだろう。

どこまでが「厚意に応える」ことで
どこまでが「ずうずうしさ」なんだろう?

たとえば、新しく知り合った人に今度遊びに来ない?って
誘われてもたぶん3度くらい誘われるまでは
じぶんからは行かないほうだと思う。
でも、相手の人がとてもさそい上手なひとで
しきりに誘ってくれたりしたら
1度だけのお誘いでも行ってしまうかもしれない。
けっこうあいまいなものだ。

もしもこまっているひとがいて、わたしのほうがそのとき
役に立てる立場なら構わないのだけど
自分がこまっているときに、
手をさしのべてくれる人がいたら
いったいどこまで人に甘えてもよいのだろうか?

上手に甘えることはきっと滑らかな会話以上に
人間関係に潤いと豊かさをあたえてくれる。
自分ばっかりカードをきるのではなく
相手にもきってもらって、
いっしょにカードゲームをたのしむような。。。
こんどはわたし、つぎはあなたの番ね、
っていうやりとりは
ときとして面倒で億劫なときもある。
だけど、めんどくさいことをすべて排除して
自分だけがカードをきるより
相手をたいせつにできる豊かな世界がひろがってるのよね。
(なかなかできることじゃないんだけど・・・)

「相手にカードをきってもらう」
ここまではいいとしても
そのあと互いに楽しむ術をしらないわたしは
いつもそこで立ちつくしてしまうのだけど...ね。

人と人との許せる距離感はそれぞれに
ちがうものだとおもうから、
あることが迷惑かどうかや、その人との距離は
それぞれの人との関係の中で
オーダーメイドでつくりあげていかないといけないんだね。
きっと。


2002年05月15日(水)
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