I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 勝負!

鏡をまじまじと覗いてみることは
そんなに好きじゃないの。
誰も見てなくても、
自分自身の意図的な表情は
とてもはずかしいし、いやらしくさえあるから。


だけど、ときどき
ふっと鏡を見てみる。


そのとき生き生きとした自分のかけらを
見つけることが出来た日だけは
わたしが鏡に勝ち!なんだ...


2002年08月07日(水)



 未熟者

人に未熟だとおもわれることは恥ずかしい。
完璧でないところをちらりとでも見せることは
全裸よりも恥ずかしい。

だけどわたしは、どこかしらが未熟である人に
魅力を感じます。
その人の活き作りを味わっているように感じるから・・・



2002年07月21日(日)



 ごきげんとり


人のごきげんとりを屈託なくできるってのも
1つの才能
ごきげんとりだと見透かされようと
結果、憎めないヤツだなと
笑いがこぼれることもある。

これは天性のもの?

人の感情ってどうしょうもなく複雑に
曲がりくねっているから
こんなマジックもときとしておこるけど
わたしにはできないこと。
自分が「相手に心を見透かされる」とここまではよくて
その後の
「見透かされていることも知らずに」と思われるところまで
くると、とたんに扉が閉じてしまう。
この2者の間にたいしたちがいはないのに。

だからたぶん私は、
入り口まではおいでおいでの手招きをしているくせに
入り口近くになると、急にバタンと戸をしめるように
見えるのかもしれない。


2002年07月20日(土)



 久々の戯言


なんだか精神が枯渇して最近日記がかけなかった。

自分にとって何を置いてもやりたいことと
全然気の進まないことはいつも抱き合わせ。
だけど、わたしは今この位置に生きているのだから
日々の気の進まないことをいい加減にすることは
できないのだし、
気の進まないことの積み重ねにさえ、大切なものが
隠れているのだね、きっと・・・。

それにしても、
どうしてもいやだな〜とか気が進まないなと思うことを
やっているときにはいい考えがある。
そのときそのいやなことをやっているということは
別の時間そのことをしなくてもよくなったという
証明でもあるのだから
大いにいやなことをやっている時をたのしもう。
かさぶたをはがして、かゆみと痛みの間を
手玉に取るように・・・


2002年07月18日(木)



 もう1人の私

いくら対人が恐怖だったとしても

憧れとか敬意は別腹・・・。


2002年07月09日(火)



 けわしい道

人生って
ときとして
人からのどんな誤解や非難にも
1人で耐えつづけなければならない
長い道のりだね。

苦しいけれど
自分が強くなれるのかとおもうと
たのしみだよね。


2002年07月01日(月)



 回覧板

1階の人に回覧板をもっていかなきゃいけなかった。
これはわたしの役目なのだから、
持っていってもいいはずなんだ。

朝1階の人にあって、挨拶をしていい感じに別れた。
だから今日はこのまんまで終わりたい。
だけど・・・回覧板をもっていかなきゃならない。
「至急回覧」なんだもの。



挨拶して
いい感じに
別れた
のに・・・


また
その人の
前に
あらわれたら
私は、
くどい人。

相手の
視界に
1日に2回も
ズカズカは入り込む
くどい人?

そのことがなんとなく気になって
不安と心配の間くらいの気持ちで・・・
回覧板、持っていきたくなかった。


これは私の役目なのだから
任務、
いや、「義務」「責務」なのだから
持っていってもいいのよね?
だって、どうしようもないんだから。
至急回覧なんだから、それだから
許してよね?


心が拒否するのを何とか押さえて
吐き気もしそうなのも何とか押さえて
ピンポーンとならした。
渡し終えたら終わり。
この重圧が解かれるまであと1分くらい。

朝10時だったけれど
なんとなく相手の人は身支度ができていないような
そぶりだった。
そんなことはこちらは気にしていないのだけど
相手が気にしたかな?
朝から回覧もってくるなんて・・・って思ったかな?

わたしが相手の立場だったら
全然そんなふうには思わないのだけれど。
だからといって、相手もそうとは限らない。
かといって限りなく相手の気持ちを推し量ったところで
それは想像でしかない。

人の気持ちを考えて行動しているようでも
本当の人の気持ちなんてわからないよね。
あるのは、ただ自分の体験や常識の範囲内での
「想像」があるだけで。



2002年06月26日(水)
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