I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 あした

自分の仕事に煮詰まったりドツボにはまって
明日行くことにすこしばかり
臆病になってしまったり
憂鬱になってしまったとき

こんなときは誰にも言えないけど
こころがしくしく泣いていたり
くよくよしちゃったりする。
誰でもあるのかな?こんな日は・・・

でもね、
こんなとき、明日また仕事があったら
いやがるんじゃなくて、喜ぼう。
明日、今日の落ち込みを覆すチャンスが
巡ってくるかもしれない。
明日、何かが見えてくるかもしれない。

このまんまの気持ちで休みの日になるより
あした仕事があってよかった!と思おう。
挽回のために行くんだから。

七転び八起き。。。なんて
よく言ったものだよね。
私のために誰かがつくってくれた
言葉みたいだね。



2002年11月12日(火)



 ことばの裏

たぶん・・・
けっこうガード固げに生きてるんだけど
ときどき人の言葉の裏なんて
もうどうでもいいとおもう。

言葉の影になにかあるのに
それに気がつかないだとしたら
それに気がつかない自分が自分に不安で
たとえば誰かの、その言葉や
ありがたい申し出を
100%真に受けてはいけないんじゃないかと
おもう。

だけど本来
誰かから手をさしのべてもらったり
言葉をかけてもらったら
その根っこがなんであれ
「うれしい」や「ありがとう」を
そのまま感じていたっていいのかもしれない。
言葉の根拠や魂胆なんか
どうだっていい。

そのほうが自分がいちばん
うれしいんだよね。


2002年10月30日(水)



 らしさ。

1人でいたときも
2人になっても
3人に増えても
外で長い間いるより
わたしは家に帰るのが好き。
家に帰るとほっとしておちつく。
だから、もし
自由な時間を手に入れたら
外でお茶やランチもたまにはいいけれど
どっちかっていうと、マイペースで掃除したり
洗濯物たたんだり、趣味なことをじっくりやるほうが
しっくりくるかんじがする。

だけどその場のノリでお誘いを受けて
パッと乗れる人とか
ずうっと外にいてもあまり疲れない人もいる。
とってもふしぎ。
どうしてそんなにフットワークがかろやかなの?
それは本心から?
それもいやいやではなく
いろんな人にあって毎日いろんなところに出かけて
疲れないの?と思うけれど

そんな人からわたしを見たら
1人で好きなことやるっていっても
限界があるんじゃないの?
一日中しゃべらないで煮詰まってこない?
気分転換どうやってしてるの?
なんておもっているのかもしれない。


でも
違っていることじたいに
善し悪しはなくて
ちがうことはその人らしさ。


2002年10月29日(火)



 おなかがぎゅるる。。。。

今日ある集まりの席で
しーんと静まりかえった中
私の隣の席の人のおなかが
「ぎゅるるるるるぅううう」と大きな音をたてた。


とっさになんとなく私も
「さっきから私も鳴ってるのよ。お腹がすいてなくても
何故か静かだとなっちゃうのよね。。。」と
話しかけた。
まわりの人たちも爆笑しながらそう、そうといっていた。


知らん顔したほうがいいかな?という気持ちと
フォロー(になってないかもしれないけど)したい気持ちと
一瞬交わったけれど。


何を言って、何を言わないかは
それは、そのときのその場の空気にもよるし
自分の気持ちにもよるし、
相手との距離にもよるし
いろいろ。。。

だけど最近少し思うのは
失敗をおそれてよけいかなと思うことを
いっさい言わないのも
もしかしたらとっても窮屈な感じかもしれないな...と。
たとえ相手との距離が特別親密なものでなくても
何かを共にしたり
同じ空間に同席したり
そんな日々の些細なつながりでも

たとえば
同じ鍋をつつき合うみたいに
意図せずかかわりあうことがあっても
いいのかな・・・とおもったり。

まだわからないことがいっぱい。
人との距離のとりかたって
難しいけどおもしろいね。

2002年10月25日(金)



 ふとした思いつき

できない理由
だめな理由
嫌いな理由
ばかりにこだわっていても
そこからは何にも生まれない。

できるようにするために
だめじゃなくなるために
すきになるために
少しでも心をもっていけたらもうけもの。

たまには疲れて
ポジティブシンキングとやらに
ペッと唾を吐きかけたくなるようなときも
たしかにあるけれどね。

常によい考えや行いができるとは限らないけど
そうしたらまたその時点から
スタートすればいいんだしね。

ばかげているけど
その繰り返しの人生に
愛着も感じるんだから...
ふしぎ。

2002年10月24日(木)



 平気。

今まで生きてきた中で
とくにもっと年若いころは
確かに「死にたい」と思うようなことも
1度や2度ではなかったけれど・・・


いつ死んでも惜しくはない、
そういう思いはかぎりなく
自分に対して自由で

生への執着がないことは
かぎりなく魅力的で

だけど単にわたしは
それ以外の自由の手に入れ方を
知らなかっただけかもしれないね。


昔の私は
『人は、死ぬのがこわいみたいだけど
わたしはいつでも平気で死ねるんだとおもうわ。
すごいでしょう・・・』と
心のどこかで思っていたに違いない。


年を経て思うこと。
いつでも平気で死ねることよりも
いつでも平気で生きられることのほうが
すごいことなんだよね。

2002年10月21日(月)



 アドバイス

他人からのアドバイスはありがたいけれど
そうすべきだ、とか
そうじゃない、とか
すぐに感化されてなびくのではなくて
今の自分にとってそれが意味があることかどうか
あくまで自分で判断したい。

アドバイスしてくれた人に
よく思われるのが目的でないのなら...ね。



2002年10月18日(金)
初日 最新 目次


My追加
アクセス解析