I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 正論

この人の心の奥底には
人情とか一抹のジョークとか娯楽とか
ないのではないかと思えるほど固そうな人でも
人は常に正しさだけでは動いてはいない。

むしろ好きかキライかで動く。

どうして?
いつもドライで合理主義者なら
それで通してほしい。
こんなときばっかりすきだのきらいだの
分けわかんないことで判断しないでよと
思うこともあるけれど

正しくても採用されないこともあれば
正しくなくとも採用されることもある。

たしかに理不尽。
すごく理不尽だけど、

その理不尽さに
心がかたくなになってしまうのは
わたし自身が自分の「正しさ」に
こだわっているせいなのかもしれない...ね。


2002年12月20日(金)



 繋がり

なんとなく・・・
なんとなくだけど
この人はとげとげした感じだ、とか
時間がゆっくり流れている人だとか
何を話しても聞いてくれそう、だとか
人慣れしてる、とか

好きとかキライじゃなく
受ける印象、っていうものがある。
本来の性格には関わらず。


生まれてこのかた
誰も教えてはくれないこと。

それは
たとえば、

人を待っているときの待ちかた、
人と話しているときの視線の合わせ方
もしくは視線のはずし方。
友達と会う頻度。
凝視するでもない、微笑むでもないときの
相手にとって心地よい中間表情。
自分の中のルールの守りかた。
人のルールの受け入れかた。


これが、もし
仕事は責任を持ってすべき。
勤勉に勉強すべき。
といったわかりやすい基準ならば
わかるのだけれど


誰も教えてくれないこと
感じ方はいろいろなことだから
自分でさえこうありたいと思う雰囲気を
身につけていくことは
むずかしい。


だけど
きっとそんな曖昧な部分で人と人は
よりつながっているんじゃないかな・・・

それが深いつながりであればあるほど。



2002年12月03日(火)



 

不機嫌から遠ざかるのも
不機嫌に近づいていくのも

本当は自分自身。


2002年11月30日(土)



 日常

いつでも自分と同じ感性の人に
囲まれているわけではなく
だからときどき
変な人とおもわれたり
違和感がうまれたり。

いつも自分と同じ
環境や立場や生活の人と
接していられるわけでもなく

だから

実際そんなこともないのだろうけれど
わたしだけが
こんなに大変な思いを
しているんだと
感じられたり
理解されないだろう哀しさと
抱き合わせになって
生きていく。


拭いても拭いても
曇ってくるような窓ガラスを
毎日腐りもしないで
くじけないで一生懸命拭けたなら、
それができたら本当の大人だと
意味もなく笑ってみる。


2002年11月29日(金)



 Introduction

はじめての環境の中に入っていくのは不安だけど
今居座っている環境のなかに
新しい誰かが入ってくる方も
不安なのかもしれない。

どっちも不安。
未知なる人の反応に不安。

ゆえに
ときには自分から
くだけた自己紹介も必要。



2002年11月28日(木)



 正直なところ

持ちつ持たれつ、って
いいことなの?
必要なことなの?

わたしはなんだか疲れてしまうのだけれど・・・


2002年11月17日(日)



 誇り

ごめんなさいね、と素直に人に頭を下げる
ことは大切・・・。
だけど、ただただへりくだって
腰さえ低くしてればいいってものでもない。
どんな立場に今いようとも
自分に対するほこりは忘れたくない。
おごり、じゃなくてね。

バランスがむずかしい・・・

自分のほこりだけに注視していると
なかなか頭も下げられない。


だけど、
ほんとうに本心から
人に素直に頭を下げることが出来たときは
ふしぎふしぎ
一番いい形での自身への「誇り」がついてくるんだ。



2002年11月16日(土)
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