I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 

わたしには
ともだちはいません。

気の合う人や
いっしょにいて楽しい人は
いるかもしれない。

だけど
気をつかわない人はいない。

だから
どんなに気があっても
楽しくても

気をつかうという点で
やっぱり疲れる。

1人がいい・・・

だけど人との話によって
何かを得たりするし
おしゃれだって
人の目があってこそ
上手に?なるし
意見の違う人に叩かれるのは
まんざら悪くはないしで

だから
イタイイタ〜イ
お注射のつもりで
人とおつき合いはしていくのです。


お注射されて自分がどうなるのか
面白いし、痛みも時としては
快楽だったりもする。 

ほんとは
お注射なんてしたくないけどね。


あなたにはともだちがいますか?

2003年11月12日(水)



 やっぱり人づきあいは苦手

どうしても落ち度のないひとを
演じてしまうのです。

人に何かやってもらうのは
うれしいとともに
なにかとても居心地がよくないのです。

わたしには子どもがいるのだけど
子どもがお友達の家にお邪魔したとします。
帰ってきたら、相手のお宅に
お礼の電話をしなければ...とおもって
とっても緊張します。
するタイミングもかなり見計らって
(今天ぷらあげてないかしら・・・とどきどきものです)
それでもその大役がおわるまで
汗をかいてしまうくらいです。

その逆のときはいいのですけどね。
しかも相手の人が、後でお礼の電話を
してこないようなタイプの方だと
とってもつきあいやすいなと
思います。
いいわるいの問題じゃなくて、
もし「必ず」かけてくるなとわかると
今度はその電話をうけるまで
コンビニに足りない調味料も買いに行けないですから・・・


電話してくるのがいやなのではないんです。
間髪入れずに「お礼を!!」と気張る
わたしみたいなひとより
「お礼はまたこんどあったときにでも」と
幾分おっとりおおらかな人の方が
つきあいやすいなとおもうくらいです。


自分でソツがないと
思ってる態度は
もしかしたら
人には逆に息苦しさを与えているかもしれないのに
ほどよい「間」がとれない。。。
意識して
ほどよい「間」をとろうとすると
今度は自分が隙間だらけの
失礼な人になってるかも・・・と
不安になってきます。

人の「隙間」に安心して
自分の「隙間」が不安なのです。

変でしょう・・・?
本当はそつがないどころか
そつ大ありなのに。




2003年11月05日(水)



 つれづれ。

どうせ最後には
人とうち解けるのだったら
最初から
心を開くこと
せめて開くマネができればいいのに。。。

もったいぶっているわけじゃないのに
スタートダッシュがおそい。
スッと潔く自分を開いていけない。
わざわざ遠回りする。
そもそも「自分」なんてないに等しいけれど。

一体なんど同じところで
転んだのかな。。。

それを知りつつ
また1から
「おとなしい人」→→→「面白い人」
って言われちゃうのかな。
だるい。。。

どんな自分を見せようと
結局は居心地がわるい。
お酒飲んで大騒ぎした後の
後悔の嵐のような気分。

わたしの性格自体が
後悔と嫌悪の双子ちゃんを
育てているようなものなんだもの。

はぁ。。。
疲れた。

2003年11月04日(火)



 ご近所さん

パートに行かなくなったわたしに近所の人がいち早く
気づきはじめた。
「え〜〜っ?やめちゃったの〜〜いいなぁ。。。
わたしもやめたい」とか

「ショック〜」とか

「なんか最近早い時間にふとんがとりこまれているから
そうじゃないかなっておもったのよ〜」
って。

よく見ているんだ〜〜って
ビックリです。
それに
わたしが仕事していることとあなたが
仕事していることはなんの関係が^^;


昔のわたしだったら、身近な人の目って
うっとおしいなって思ったかもしれない。
今も自分の存在をいちいち気にされるのは
ちょっとね・・とおもわないこともないけれど

わたしがいつも朝仕事に行っているのを見かけたりして
その人達もがんばろうとか
つらいのは自分だけじゃないぞとか
親近感があったのかも?と思うのです。

ときどき見かけるだけのアノ人は
知り合いじゃないけれど...
ときどき会う同じマンションの人とは
ぜんぜん親しくもないけれど...
ただひっそりと同じ地域に住んでるだけでも
お互い影響しあって
生きてるのかもしれないんですね。

それにしても・・・
また仕事始めたら
こんどはどこに行っていて何時までやってるのとか
聞かれるんだろうな〜
やっぱりちょっと
うっとおしいかも。

自分の私生活をそんなに親しくもない人に
ひけらかすのは心にちょっとひっかかってしまうけれど
そんなことオープンにしたくらいで
自分があけすけになるわけでないし。
なんたところでどうにかなることでもないし。

仕事先でいっぱい人と接したおかげで
ちょっと楽な
自分の人への抽出法を覚えました。



2003年10月31日(金)



 過去の人

人とのつながりや縁ってなんなのでしょう。
いろんな人と巡り会い別れゆくときに
わたしは
その後の自分を
その人々からの眼差しの中から
完全にクローズしてしまおうとします。
感謝の気持ちや想い出はあっても
その関係をいつまでも続けていくことが
得意でないのかもしれません。

そしてどこかで思うのです。
最後の最後のトコまで
私という人間をさらさずに
途中で消えることが出来てよかった・・・と

連絡がくれば会うこともあるし
楽しいおしゃべりにも
花が咲くのだろうけれど
新しい世界での自分と
過去の人(過去の自分)との狭間で
なんとなく違和感が生じて
くつろげなくなることもあります。

だけどこれじゃさびしいよね。。。
過去の人をそのままに
自分らしくある方法ってないのかなと
この頃考えてしまうのです。

過去の人たちとの間で
なにか伝えきれなかったこと
相手を受容しかねたこと
表現しきれなかった何か
これらに
強制的に蓋ができるのが
別れだと思います。
だから別れもキライではない。

だけどいつかきっと
相手をクローズさせなくても
そこに
ただただながれる水のように
あれたらいいなと
思っています。

次に人と出会うときには
そんな別れがしたいです。


2003年10月02日(木)



 

やさしい人・・・
と言われるのが
なんでそこまでいやなのさ。




それは
わたしが自己顕示欲の塊だから。。。

2003年09月28日(日)



 私へ

ある薬屋さんのレジでけっこう人が並んでいるのに
ものすごくマイペースでレジをうって
ゆっくりと作業しているバイトらしき女の子がいました。
私の次の人は、おっせーなーーといわんばかりに
腹立たしげなため息を連発。
その後ろのおばさんは、隣のレジと
どっちが早いかと見定めている。
その後ろの男の人は
たった缶コーヒー1本のために
ならんでいるので
やきもきしつつ膝を貧乏揺すり気味にしている。

わたしはこの女の子のやることを
一部始終ながめている。
待たされているのに
いらついているわけではない。
なんだか不思議。
宇宙人でも見るような気持ちで。

この人が
一体どうしてこの緊迫した状況の中で
こんなにふつうの表情を保って
手さえも震えずに
ゆっくりしていられるのか??



わたしだったら動揺して
レジをうつ手が震えて
ピリピリした雰囲気にのまれて品物をガシャーンと
おとしてさらに焦ってしまったり
表情がけわしく必死になってしまうに違いない。
そうすればさらに作業は遅くなって
お客さんはもっといらつくに違いない。

たしかにひかえめに見える態度や
物事を重く受け止めるまじめさを
評価されることもあるのだけれど
それだけじゃ
何かが足りない気がしている。

自分の失敗や能力の足りなさを
バカ丁寧さや腰の低さで
ガードするのは
すこしずつやめよう。
腰が低ければ確かにその場は
許されるのだけれどね。

そのかわりに
自分を肯定するおおらかさと
間違いを認める勇気を
失いませんように。。。


2003年09月08日(月)
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