2006年09月09日(土) |
うつはクリエイティブの病 |
河合隼雄文化庁長官が脳梗塞で倒れてからもう3週間以上経つ。 一時は肺炎も併発している、という事だったんだけど、その後の報道で は、危険な状態は脱したという報道もある一方で、最近の報道でも まだ意識は取り戻していないという報道もあって、一人気を揉んでいる のである。
個人的には、河合文化庁長官というよりは、臨床心理学者の河合先生と いった方が馴染みがある。 河合先生は、私にとっては大切な心の師匠とでもいうべき存在だから である。
といって、直接何かを教えてもらった訳ではない。 直接お会いした(というよりお見かけした)のは、今年の4月のトーク ショーが初めてであり、こちらが一方的に著書を読み、勝手に師事?し ているだけである。
私は心理学をきちんと学んだわけでもなんでもないけれど、でも河合 先生の本を読んでいなかったら、今のような自分にはなっていないと 思うし、また自分の仕事の上でも、著書から学んだことは大変役に立っ ているのである。
多分、この日記内検索で、「河合隼雄」と打ち込めば、沢山の記事が出て 来るはずである。
私が河合先生に学んだことで、一番大きいこと、私が河合心理学につい て感じる事は、それが人の心を分析する学問ではなく、人との関係性に ついて考える学問である、という事である。
分析することと、関係性を作り上げることは、心理学の分野という事で は似ていても、大きく違うと思う。 人間は、それが心理であれ、医学であれ、自然科学、社会科学であれ、 「科学的」に分析しようと思うとき、関係性を切り離して考える。
なぜなら、そのように関係性を切り離して考えなければ、そもそも観察 や、分析ができないからである。
だけれども、もしそのように分析した結果、原因と結果がわかったと しても、それを実際の親子関係や、人間関係に応用しようと思っても、 なかなか上手くはいかない。
だって、人間同士の間で生まれる関係性は、その時その時で生まれ、 絶えず変化をしているからである。 それをある一時期を定量化しても、次の瞬間には状態は変わって しまっているわけで。
そのような視点で、自分と周囲の人間や、人と人との関係性を考える 事が、私自身の生き方にも多くの影響を与えてきた、と今の私は感じて いるのである。
今回、河合先生の病状を知るために、ネットで検索していたところ、 こんな記事に巡り会った。 それは、「うつとは、クリエイティブイルネスである」という記事で。
以下、一部を引用させていただくと、
―「うつ」とは「クリエイティブ イルネス」だと?
河合: 「創造の病」という意味で、病が創造、何かを作り出すきっかけになるという考え方です。クリエイティブ イルネスというのはいろいろな病で言えるのですが、「うつ」ももちろんそのひとつです。「うつ」になっている本人はまるっきり逆で、「何もできない」と思っている。だけど、できるから不思議ですね。 フロイトやユングも心の病になっています。そして、その心の病を克服していく間に、あのような精神分析や心理学というものが生まれてきました。ですから、「うつ」で沈んでいる間は何もできないようだけれども、実はそこから物事が生まれる。クリエイティブ イルネスです。これは「うつ」の本質と言ってもいいとわたしは思っています。
―芸術家に多いような気がしますね。
河合: そうですね。芸術家で「うつ」になる方は多いです。夏目漱石は体の病気でしたけれども、病のあとで作風が変わりました。それまでの「我が輩は猫である」から、「こころ」のような作品へと、ぐっと深くなったような気がします。あれは典型的なクリエイティブ イルネスです。
―さらに河合さんは、「うつ」を「心のエネルギーが行き場を失った状態」ともおっしゃっています。
河合: 「うつ」はやる気や興味といった「エネルギーがなくなった状態」とよく言われますが、それは、「今、使えるエネルギーがなくなっている」ということで、どこかにそれはたまっているはずです。そのエネルギーがボン!と破壊的に、マイナスの方向に作用したら自殺という行為に出てしまいます。だけどそれが違う方向、つまりプラスに作用したらクリエイティブになるということです。
―カウンセリングとしてはどういった感じでされるのですか。
河合: 当事者は「出なきゃいかん」と焦っているでしょう。でも、ただ焦るだけでは、出口はふさがっている状態なので見つかるわけないんですよ。そこでわたしもいっしょに沈むと、心に余裕ができるんでしょうね。
わたしと会って外に出たら、「景色がものすごくきれいだった」と言った方がいます。「こんなに景色ってきれいやったんか。自分は今まで景色なんか何も見ていなかったんやないか」と。つまりそれは、職場、仕事、研究でいっぱいいっぱい。景色を見る余裕がなかったんですね。ホッとして景色を見たら、「こんなにきれいか」と思う。
そこでおもしろいのは、今までそんなことやったことのない人が、「心に出てきた」と言って短歌や俳句を作るんですよ。そしてそれはそういう苦しみの中から作られたからやっぱりいいものがあるのでしょう。新聞などに投稿すると選者もわかるのでしょうか。案外採用されることが多い。
絵を描く人もいます。自分は理科系で生きていて理科系の仕事ばかりしていた。そういうときにわたしが、「高校の時、絵画部だったんですよ」とふと言うと、「へえ、ちょっと描いてみようかな」なんて思いだして、それで描いた絵を県展などに出したら入選するんです。
つまり、まったく新しい自分を発見するのです。
―エネルギーの行き場を失ったということは、それまでの自分の道筋ではもう行き場がないから……。
河合: だから、こっちに動く。そうすると、前のパターンと変わってくるでしょう。短歌や県展で入選したような人が職場に戻ると、「おまえ、なんか柔軟性が出てきたな」とか、「スケールが大きくなったな」とか言われるんですよ。
―それが、クリエイティブ イルネス?
河合: そうです。だから考えてみると、芸術家のかたがたはものすごい苦しみの中にいます。われわれ普通の人間がクリエイトするというのはたいへんなことですが、「自分の人生をクリエイトする」と考えたら、いちばんわかりやすいですかね。
今、俳句とか短歌とか言いましたが、今まで「仕事、仕事」でそんなこと考えたこともなかったというような人が、ボランティアをやり出したり、NPOに入ったり、子どものために何かをしようと思ったり、そういうのがボコッと出てきます。人生はその人がクリエイトするんですね。
―誰でもがクリエイター?
河合: 誰でもクリエイターです。だけど、うまいことクリエイトしていける人はいいけれど、いちずに行った人はポンと止まってしまうことがある。だから「うつ」になる人は、すごい頑張りやさんとか、いちずな人、律義な人が多いですね。だから、その道が止まってしまったら、「もっと開かなくちゃダメですよ」と言いたい。
それから、励ます人もその道でばかり励ますからよくない。「やればできるよ」なんて言うと、よけいに止まっちゃうでしょう。だからわたしはいっしょに沈み込むんです。「仕事をする」とか「頑張る」ということをなしに、1年くらいぐっといっしょに沈み込んで話をしているとなんとか生き延びられます。
と、ちょっと長目の引用になってしまったんだけど、 この部分にも、河合心理学の肝が現れているんじゃないか、と私は 思うのだ。
そして、今回の記事を読んで、私が新たに気がついた事というのは、 「うつというのは、クリエイティブに関する病なのだ」という視点で ある。
すなわち、うつ病というと、私たちは何もできない状態、という事に 目を向けがちだと思うんだけど、でも何も出来なくなってしまった状態 というのは、もう一方では、それまでの様々な周囲との関係性の行き詰 まりである、という見方も出来るのかもしれない。
うつ病は、内因性の、脳の中で分泌されるはずのホルモンの不足に よって起こるという原因もあると思うけど、でもその一方で、自分なり に、新たな周囲との関係性を発見できた場合、ガラッとその人の生活が 変わり、より豊かな人生を送れるようになるという一面もあるのかも しれないな、と思うのである。
ただし、その新たな関係性の発見というのは、簡単に発見できる物でも ないのかもしれない。 というより、そういうものが簡単に発見できる人は、そんなにうつ病で 苦しむ必要はないのかもしれないし。 だからその最中というのは、本人にとっては、とってもつらい時期だろ うし、周囲の人間にとっても、とても気を揉む時期なんだと思う。
だけど、その時に本人も周囲の人間も、焦らずにじっくりと待つことが 出来るのなら、ひょっとした瞬間にその発見の時期がやってくるのかも しれないなあ、と思うのだ。 それはある意味、何年も難しい公式に悩んでいた数学者の頭の中に、 ひょっと解法が浮かんでくるようなものなのかもしれない。
まあ、といっても現代の社会で生きるうえで、じっくりと待つだけの 余裕をなかなか私たちが持てない、という所にも、難しさはあるんだと 思うんだけど。
現代の日本では特に、みんな個性的に、クリエイティブに生きたい と思う人は多いし、そういう人生にあこがれる風潮は強いのかもしれ ない。
だけど、自分ひとり、クリエイティブに生きていこうとする事ほど、 実は困難な事はないのかもしれない。 いい意味でいい加減に生きられる人は、その辺上手く折り合いをつけ て生きていくことは出来るけれど、人生に対して真面目な人ほど、 その折り合いのつけ方がわからずに苦しんで、うつ状態になってしまう 人も多いのかもしれない。
だけど、そういう状態に陥った人でも、その苦しんでいる中で、何かを 発見できれば、うつという状態から脱することも出来るし、またそこで つかんだ何かを元に、自分の人生をクリエイトして考えることができ るんじゃないのかな、という事で。
その時に必要なのが、一緒に沈んでくれる人、別の言い方をすれば、 「中心をはずさずに」見てくれる人、なのかもしれないな、と思うので ある。
でも、そういう人間関係を発見し、新たにクリエイト、もしくは 編集できる能力というものに、うつに苦しんでいたり、その周りに いる人が気づくことが出来たのなら、もっと人間関係も豊かなものに なるような気もするのである。
近年、河合先生のように脳梗塞になった後で、リハビリは必要で あったとしても、執筆活動を続けている人に、免疫学者の多田富雄、 料理研究家の小林カツ代がいる。 出来れば、河合先生にも、(表舞台に登場するのはなかなか難しくて も)、執筆活動を通じて、再びいろんなことを考えるきっかけを作って もらえたら幸せなのであるが。
病状が回復されることを心より願っています。
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