言葉が適切ではないのかもしれませんが 障害を持った方たちは それぞれ 障害別にプライドのようなものがあり 自分と違う障害がある方たちと自分は違う と 主張されます 最近特に耳にするのは 聴覚障害者と難聴者は違うということ とかく耳の障害ということで センター職員もまとめて考えがちですが ゛生活が違うから無理゛と 難聴者も聴障者も主張します
確かに それぞれの障害に方たちが集まると 独特の雰囲気が作られます 賑やかで明るく騒がしく集団が大好きな聴障者 おっとりおとなしく控えめな難聴者 まず一歩さがって様子をうかがってから始まる視覚障害者 不思議とセンターに見える方たちは 障害によってカラーがあるように感じます いずれにしても 違うと主張し続けるより 違うことを踏まえて理解し合えたらうれしいですね それは職員の偏見も同じことです 「聴覚障害者は人の話を聞かずに好き勝手する」 聴覚担当の私には 家族のことでもいわれたように 体をかたくして聞いてしまいます 自由奔放で明るい人たちなので 私は好きです 苦労を乗り越えてこれから先もたくさんご苦労と立ち向かうのに 自由な考えと明るく進んでいくことの大切さを 彼らは身につけてきたのですから
傷害を理解することの難しさを感じ続けてきた私ですが 今もって解決することなく感じています 私は偏見を持たずに見ているのか? 常に自分というものをどこからか見つめていなくてはならない 緊張の連続です 福祉で言う「自己覚知」の勉強です
感じる福祉から 理論の福祉を叩き込まなくては
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