2003年01月18日(土) |
陽春さんと禅宗と個体発生と。 |
えー、なんだかとっても見てて楽しい「ピュア・ラブ2」ですが。 イマドキのお子様(小学生)たちの「何故人を殺してはいけないのか?」という素朴な疑問に対して、老師がしっかりとお答えをくれていたシーン。 およ?と首をひねりたくなるお言葉がありました。 結論からいえば「個体発生は系統発生を繰り返すのか?」ということなんですが。
老師は「君たちを産んでくれた親、そして叉その親というふうに、連綿と続く命の炎を身勝手にふき消してはいけない」と子供たちを諭します。 これはいわゆる禅宗でいう「灯をともし続けるように法も受け継がれる」という教えのバリエーションですね。 そして、親のまた親をたどっていくと、進化の歴史にまで遡り、ヒトが進化してきた長年月のその重みを説明するために、先の「個体発生は系統発生を繰り返す」というくだりがでてきます。
うーん、いつからこれは「定説」になったんでしょうか? 確かまだ答えは出ていない問題だと認識してましたが・・・。 素朴な疑問なんですが・・・もし胎内で「系統樹を下ってくる」のであれば、ヒト以前の「進化の系統樹」は明確な一本線だということになりませんか? では何故博物学の世界ではあれほどまでに「種の起源」にこだわりつつも複雑怪奇な系統樹が構成されているんでしょう・・・。 遺伝子がそうした発現の仕方をするのであれば、何故「ほ乳類になる前で成長が止まった胎児」が生まれてこないのか・・・。いや、もし「個体発生は系統発生を繰り返す」のであれば、ハエやもう少し複雑さが少ない種では「途中の」個体は生まれているのでしょうか? とっても疑問です。 どなたか「これを読め」というものがありましたらメールミーです。
さて、何故人を殺してはいけないのか?という疑問に対する私の価値観ですが。 明確なものは持ち合わせてはおりません。 個人的には社会契約説?に準じて「私が殺されたくないから殺さない」でいいのではないかと愚考する次第です。 何故そのような疑問が子供たちに湧き出るようになったのか、もしくは、価値観として「殺す殺さない」の明確な線引きを今の世の人々が持たないのかに関しては一家言ありますが、それは叉の機会に・・・。
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