きままくらし

2011年12月19日(月) こしかた記 12/29 転記




[つんどく]

一年の積読の果

ホコリ払い また仕舞う

今朝から
吉村昭 『死顔』 新潮文庫 の中の

「死顔」と津村氏の『遺作について』を読む

9年前に亡くなった父のことを思う

何故 この年の瀬に 吉村氏を
読もうと思ったのかといえば、
一番最初に読んだのが
『海も暮れきる』であったから、、

確か 父が亡くなる前年ころだった
と思う

Am☆zonギフト券を消化すべく
「新装版 海も暮れきる 」と
この 「死顔」と
三浦雄一郎 『歩く技術』
ケルティック ハープの CDを
購入した
CDと「〜技術」は先の2冊とは
何の脈絡もない

父は、最期は実家で家族に看取られて
死んだが、 末期の診断を受けるまで
アルコール以外に穀というか食を
意識して摂らなかったから 私には
緩々と自死に向かっているように
思われた

それは 亡くなったのちに 父が自身で
死を選びとっていたように思えただけ
なのかもしれない
単に 身体が弱って もはや食べるという欲求が
なかったのかもしれない

放哉の死に方と父のそれを重ねるべくもないが、
生きていたくなくなるのは わかる気がする
そして 吉村氏の死にかたも・・・


私は実家の家族と共に父の死を
看取ることができたことは、
いまでも 幸せなことだと思っている

かつて父と暮らした日々を
思い出しながら 数十日ほどの看病
をすることができた


父は毎ねん 元旦には遺偈をしたため
ていたかもしれないなどと 唐突に
思ったのも さるブロガーさんにお勧め
頂いた『尾崎 放哉句集 池内紀編』を
開いたからで いかな偏屈なわたしです
ら 歳末や新年という節を思ってのこと
だった

そう言えば、 父は よく因縁時節と
言っていたが、 確かに 時節因縁は
生まれるときがそうであったように、
死ぬときも予想できないが 何かの力や
円成というようなものがあって
起こるのかもしれないと
密かに思ってみる


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