2011年12月20日(火) |
こしかた 転記 2011/12/20 |
図書館で予約しておいた 茨木 のり子の
「倚りかからず」 を 読む
温泉から帰り 午後 ひとりでいつもの 裏の山道を歩いた わたしの家はその公園の山の続きの 中ほど、、 寒くても風はなくてすぐに背中が 暖かくなった
日常のウォーキングひとつでも ひとりですることと、家人と一緒に行うことは 全く等しくなく、どちらの行為も時間も たいせつにしたい
ひとりで歩くことの 開放感が 好きだが、はたしてほんとうの ひとりがどんなものか まだわからない
一人になったときを 日ごろ思うのは いつでも死を思っているのと 似ているのかもしれないし まったく別物であるかもしれない 普段 そんなことばかり話しているので 我家では 縁起でもないと 言われそうなことが 茶飯事な話題
悔いというものが どんなものなのかを わたしは まだ知らない それほど 適当な半生だったような、、 やりのこしたこと・・ってあるのだろうか? 歩きながらにそんなことを想ったりした 平和ボケした時代をただのうのうと 生きてきたものだ 自分の子供たちのほうが 生きにくい ご時勢なのではないか・・・
久々に大好きなヴァシュティ・バニヤンを 聴きながら歩いたら もうすっかり まったりないい気分で 帰宅後にシュークリームを食べた
昨日、泊まった温泉旅館で米は喰らわずだったので 夕方の血糖値は良好だった
今日の締めくくりはとてもよい心持だ
歩くのは 小山に登りたいのと イギリスに行きたいのと・・目安がふたつ どちらも、脚を鍛錬しておきたいからで 一応の目安は65歳くらいまでは 自在に動きたいというのが希望・・ あくまで 希望で・・ お山は一人では無理だがイギリスは 一人でもいい
倚りかからず 茨木のり子
もはや できあいの思想には倚りかかりたくない もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない もはや できあいの学問には倚りかかりたくない もはや いかなる権威にも倚りかかりたくない ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ
某ブログより転記 某ブログは退会する予定
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