2011年04月05日(火) |
「新冷血」連載50回を読み終えて。 |
サンデー毎日で高村薫さんが連載中の「新冷血」が第50回を終えた。 衝撃的な殺人事件を中心にしてもつれた糸を解すように高村さんは前進していく。 これまでの「新リア王」にしても「太陽を曳く馬」にしても、なんと難しいテーマに挑むのだろう、と畏敬の念をもって読ませていただいたが、今回はよりその感が深い。 出口はまったく見えない。
「犯人捜し」だとかトリッキーな設定とは無縁の小説だ。高村さんの作品は以前からそのようなミステリではない。むしろ殺人者の内側へ内側へと入り込んでいく。そのことを書き尽くす。
詳細に書き込まれていく犯罪者のディテールは、今回もまだまだ執拗に重ねられていく。作者のそのまなざしの先にはたぶん「21世紀の日本人」がいる。今回読んでいて不意にそんな気がした。 (設定は2002年暮れから始まる)
「思考停止」と書いてしまえばそれまで。 はて、そうしなければ生きていけない人間をあまりに造りすぎてきた時代であり国家ではないか。 そんな思いがする。 或いは 「考えると生きていけない」といってもいい。
そして「人」をいとも簡単に殺すのは、なんの動機も持たない「思考停止」だ。 高村さんは「思考停止」の後ろ側にまで手を伸ばしていく。まるでメスのような言葉で。
ところで今、この国は未曾有の原発の大惨事に直面している。その背後にいくつもの「思考停止」が重なっていたようである。
後戻りはできない。 作品では人が殺され。 現実では天災と人災が重なりあって人々を蹂躙している。
阪神淡路大震災を経験されて高村さんの作風は変わった。 現在の連載途上でのこの大震災と原発事故が高村さんに突き刺さっていることを想像する。
この連載は長くなるだろうか。
果てしない…。 砂漠の果てを見つめているようだ。
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