今日はサンデー毎日の発売日。 高村薫さんの「新冷血」の連載を読んでから、椎名誠さんと桐野夏生さんの対談を読んだ。
椎名さんのエッセイ「ナマコのからえばり」連載200回記念である。 題して「3.11後の作家」。 「3.11後何を書くか。何が書けるか」という命題は何かしら書いている人ならば誰もが考えることである。
詳細は書かないけれど、今の日本では他者の痛みを共有する感覚が分断されてしまっているという結びであったように思う。 二人とも震災後の日本に「不穏」を感じているのだ。 震災のことも。沖縄のことも。 そういう二人に共感を覚えた。
「他人の痛みを共有する」感覚とはまさに想像力のなせるわざだ。 徹底して想像すること。「ものを書く人」として、それこそ言葉の回復をかけて。 そう考えた。
今、ノートにバラバラの章から書きつづけている、「昭和20年の京都」が舞台の小説。 桐野さんが「状況の泡立つ波間を見るのが作家の仕事」というように、「もしそこに自分がいたら」という視点をもっと掘り下げようと思う。
3.11以前、ぼくが考えていたのは「嫉妬」を書くことだった。今は「痛み」に向かおうとしている。
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