2011年12月09日(金) |
「戦争ができる社会」 |
ルルの定期処置を待っている間、「夏の闇」を読んでいた。今、だいたい半ばまで来ている。思いもかけず日本人に対するこてんぱんの批判が延々と語られる場面にでくわした。 むろん開高さんの考えなのだが。巻末の解説ではC.W.ニコル氏が唯一気にそまない、と気を遣うほど徹底的に日本人の孤立と悲哀と疎外感を痛罵しているのだった。 しかし、僕の感覚は「まさにそのとおり」というものだった。 帰宅してから京都新聞の朝刊を読んだ。早稲田大学教授の高橋敏夫さんが「今や戦争ができる社会」と題したコラムを書かれていた。そもそも一般紙に載るタイトルとしてはずいぶんエキセントリックだ。けれども書かれているとおり、実績の積み重ねとしてすでにできあがっている「戦争ができる体制」に続き「戦争ができる社会」が可視化してきている。それは実感する。 たとえば「原発・フクシマ安全神話」をはじめとする「声の大きな主流」に従う事大主義をはっきりと批判し続けている文学者は、ぼくの知るかぎり丸山健二氏ただ一人だ。徒党を組む日本人が海外で孤立し疎外し笑いぐさになり、日本で孤立するものが海外に受け入れられる。そんな図式も透けて見えそうだ。だけどそれだけではダメだ、と考える。 だけど何ができるのかはわからない。わからないけれど「戦争のできる社会」というタイトルがまだ許される社会であるうちに、考えること行うことはいくらでもあるだろう。 書く契機にはもちろんなる。
あ、矢作俊彦さんとか青山真治さんも「脱原発」。アンチ事大主義??
|