きまぐれがき
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2004年01月30日(金) 1月のある日 能登半島 (1)

昨年の紅白で石川さゆりの「能登半島」を聴いているうちに、
むらむらと私も能登に行きたくなった。
能登に行くなら温泉だ。温泉なら和倉がいい。
和倉なら加賀屋しか知らないよぉ。それではそこに行こう。
ということで今回のプチ旅行となった次第。

問題なのは一緒に行く人物のペコちゃん。
ペコちゃんは目を開いている間中は常に騒々しく動き回っていない
と気がすまない性質なので、周囲の人間だけではなく犬やネコをも
疲れさせるのだ。
そんなペコちゃんと、ただのんびり温泉につかっているだけでも
いいと思っている私とが四六時中一緒では、ふ〜ぅ 行く前から
ため息。


前の列車が踏み切り事故に遭い、2時間遅れで金沢に到着。
払い戻しの証明印をもらう列に並んでいたら、数年前に亡くなった
金沢に住むOさんのことを思い出して悲しくなった。
Oさんはこの改札を通って、英語を教えに京都の高校に通い、その
合い間に東京や大阪、神戸、NYへと舞台を観に出かけていたのだ。
神戸のオリエンタル劇場で「ハムレット」を一緒に観た時には、
退院したばかりだったにもかかわらず、いつもと変わらなく元気で、
イヤリングのルビーの輝きが顔の表情をより明るくみせて、とっても
美しかった。
また以前のOさんに戻って、国内外を忙しく飛び回るものだとばかり
思っていたのに、訃報が届いたのはこの2ヶ月後のことだった。


和倉までは、スムーズに接続する列車がなくなってしまった為、
各駅停車で地元の学生達の中に混じってガタゴトと行く。
扉は手動で開けるようになっている。
私は京都を出てからずっと額を窓にくっつけるようにして、
外の風景を眺めっぱなしだったので首周りがこわばってしまった。

人や獣の足跡のついていない雪の原に、まだ深々と降り積もる雪。
冬のさなかに北国へ旅したのは何時のことだっただろう。
スキーにも行かなくなってずいぶん経つので、軒下に下がる5・60cm
はあろうかと思われるつららや、こんなに深い雪景色を見たのは
ほんとに久しぶりのことだ。

日もとっぷりと暮れた頃、宿に到着。
部屋は七尾湾に面した11階。窓の外は闇だけど明日の朝に見る
景色が楽しみだ。
ポチ袋に用意してきた心付けを、仲居さんにお渡しするタイミングが
はかれずぎこちなくしている私を、ペコは漆塗の座卓の向こうから
ニヤッと見ている。

 

それにしても二人で3部屋だなんて、背後に広い空間があるのって
落ち着かない。
寝るところは洋室なんだ?とフローリングにベッドの部屋を覗いて
呟いた私に「アナタが、洋室込みの部屋にしてって言ったじゃない」
せっかく旅館に泊まるのになんで?って思ったと不満そうなペコの声。

食事はお懐石。絶妙のタイミングで運ばれてくる料理のお味と器を
楽しんでいるところに、料理長や副社長が次々と挨拶にみえる。
そのたびに私は座布団からすべりおりて、ご挨拶をかえしているという
のに、ペコは蟹の身をはがすことに夢中で「よろしく〜」と言うだけなので
にらみつけて目で怒る。

温泉に入りに行くと香港(あれ?台湾だったかな?)からだという
ツアー客が2人、着替えをしているところだった。
関空から長野を周って和倉に来たのだそうだ。雪見ツアーなのかな?
と思っていたら、明日は東京へ行くと言っていた。
「これで旧正月のお休みは終わり」。そうか旧正月のお休みを利用して
来てくれたのね。
それでロビーや売店でも中国語が飛び交っていたんだ。
日本は海外から訪れる観光客が少なくて、アジアの中でも低迷して
いるらしいので喜ばしいことだ。

お部屋に戻るとフルーツの用意がしてあったので、掘りごたつに
あたってテレビを見ながら頂く。
いったい何時の頃のドラマなのだ? 
30代じゃないかと思わせる、いしだあゆみと黛ジュン(多分?)が
出ていた。小林薫らしい俳優も出ていたが、違うようにも思えるので、
薫だと確信がもてるまで見ることにしたら、どこまで見ても確信できず
結局最後まで見てしまう。

ペコちゃんはとっくに寝たので、私一人窓を開けて外の暗闇に目を凝ら
したり、深夜の静まり返ったロビーに下りてから、各階に飾ってある
九谷焼や輪島塗を眺めたりしてのんびり過すうちに夜も更けて...

島田雅彦の「美しい魂」を読みながら、眠りについた。




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