思考過多の記録
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2009年12月16日(水) |
彼女の幸せを祝えない |
演劇関係の知人の劇団員が結婚することになった。僕も2、3回一緒に飲んだことのある女性だ。 小柄で童顔な彼女は、舞台ではいつもパワフルな演技を見せるが、素顔は大人しくて恥ずかしがり屋で、とても優しい人柄だ。 彼女の結婚相手を僕は知らない。
知人から、「2次会」への出席のお誘いがあった。 その知人も顔の広い人で、mixiを通じて知り合った人達や、演劇仲間等が集まり、場所を借りて、当日の料理からイベントから、いろいろ企画しているようである。手作りで、さぞや賑やかで楽しい場となるだろう。
しかし、僕はどうしても出席する気持ちになれない。 別に彼女が嫌いなわけでもなければ、実は彼女を愛していたというわけでもない。 彼女が幸せになるのは嬉しいことだ。 それでも、僕は出られない。 おそらく、その場にいたたまれなくなってしまうと思うからだ。 いい歳になって、結婚どころか、未だに恋人すらできない僕にとって、彼女の幸せを祝福するはずのその場は、ただ彼女の幸せを「見せつけられる」だけの場になってしまう。 そうしてはならないと思っても、どうしても今の自分と比べてしまうのだ。 幸せな彼女と、幸せの影さえ見えない自分。 その場にいたら、自分が惨めになるばかりだ。
度量が小さい奴と思われるかも知れない。 しかし、人が他人の幸せを願えるのは、少なくともその相手と同じくらい自分が幸せであるときだと思う。 不幸な人間は、他人の幸せを妬むしかない。 そんなことをしても幸せになれないことを知ってはいても。 不幸せな人間は、幸せを遠くから指をくわえて見ているしかないのだ。 いつ自分の番が回ってくるのかと、そればかり気にかけながら。 そんな姿を他人に見せるのは悲しい。 だから、僕は彼女の幸せな姿を見られないのである。
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