無責任賛歌
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2005年08月24日(水) |
再度、学校という腐れた体質について/『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』(武居俊樹) |
苫小牧高校野球部の不祥事の続報。 学校側の「隠蔽工作」が次々に明るみに。これはもう「温情判決」なんてしちゃったら、かえって毒だって事態になりつつあるけれども、高野連に届く投書や電話の六割は「部員は処罰しないで」という同情論だとか。 ホント、こういうアタマの悪いやつらが世間に横行していて(トバクに加担してる連中も多かろう)学校と球児を甘やかしてるから、不祥事はあとを絶たないんだよ(タメイキ)。 具体的には、教頭が被害者の部員に「三、四発殴られたくらいなら、出場停止などの処分にならずにすむ」なんて脅迫とも取れる発言をしていたとか。うわあ、マンガかドラマに出てくるような悪徳教頭。こういうやつらがマジで跳梁跋扈してるのが学校ってとこなんだね。 加害者の部長も、急に「十発くらいは殴ったかも」と前言を翻して殴った回数が増えた。これはもう、かなり殴る蹴るの暴行をしていたことは間違いのないことであろう。殴った数は、また二、三日したら増えるかもしれない。そもそもこいつは、明徳義塾の事件が起こって、高野連から暴力行為等の不祥事に関する注意が行われていたにもかかわらず、それを無視する形で体罰に走っていたのである。どう考えてもこれは高野連を「舐めて」かかっているし、「ちょっと指導が行きすぎた」程度のものではない。もしかしたら教頭あたりから「何かあってもうまくもみ消してやるから、好きにやっていいぞ」とか言われてたかも知れない。 こないだも書いたが、「部員の不祥事ではないから温情を」という主張は全くの見当外れなのである。高野連が旧態依然の「連帯責任主義」を取っていると思い込んでいる人も世間にはかなりいるようだが、これがまた全くの事実無根であって、「きちんと届出があれば」個人責任にとどめるケースの方が圧倒的に多いのである。今年も、山梨県大会中に選手の暴力行為が発覚した某校については、該当選手を外しただけで出場を認めている。 今回の件で問題にされているのは、あくまで高野連の注意すら無視し、事件の「隠蔽」が行われた、苫小牧学校の教育者にあるまじき教師連中の腐れた体質にあるのだ。高野連が事件を知ったのは22日午後に「週刊誌」の報道によってである。事件発生からは2週間が経っていた。更に苫小牧高校からの報告は翌23日の朝になる。「もはや隠し通せないと観念して」報告したことは明白だ。もしも事件が発生した時点で報告をしていれば、それこそ部員には何の落ち度もないのだから、「特にお咎めなし」になったはずなのに、なぜ隠蔽に走ったかと言われれば、「そういう学校だから」と言うしかない。 高野連の田名部和裕参事は「前代未聞の由々しき事態だ」とまで言い切っている。部員の不祥事だからたいした問題ではない、ではないのだ。苫小牧の正式な報告書を待って、審議委員会を招集し、優勝の扱いなど対応を協議することになったそうだが、今回の問題が、大会期間中の暴力行為であることに加え、はっきりと「明徳は部員、今回は部員ではない、ですむのか」という点にあることを表明している。 ネットでもこの問題を扱ったブログではすぐ「部員がかわいそう」論に流れているが、「そういう学校に入学したのが不運」なのである。こんなふうにチクリやリークで高校野球界の腐れた体質が暴露されてしまうのは、高校野球の沈滞に繋がるのではないかと危惧する向きもあるようであるが、そんな腐れた高校野球を温存することに何の意味があるのだろうか。膿はこの際どんどん出していった方が将来的には、高校野球のためになると思うのであるがどうだろうか。一時的な同情論など、本当に高校野球を愛しているのなら、軽々しく口にすべきではない。
夜7時から、『愛のエプロン』に『仮面ライダー響鬼』の細川茂樹さんがゲスト出演。 「ヤマダ電器」でDVDを買っていたので、時間に十分ちょっと遅れたが、食事タイムには間に合った。今日のメニューは泥鰌の唐揚げに柳川鍋。料理人はデヴィ夫人、鈴木紗理奈、インリン、磯野貴理子、杉田かおる(久しぶりの出演で泣いてたけど、周りが結構白けてたのが印象的)。 まあ、あまり味の方がイマイチ期待できないメンバーだが、以外に鈴木紗理奈がいい出来。磯野貴理子も味は濃かったがまあ美味しい部類。ほかはもう、どうしようもなかった。 予想通りインリンの料理は殆ど「害毒」で、鍋に泥鰌と溶き卵を流してカツブシをまぶしただけなんだから、味の方は想像もしたくない。細川さん、口に含むなり、別部屋に駆け出して行った(もちろん吐き出すためである)。外はまッ黒こげだが、中が完全にナマで、噛んだ途端にホネが膨大に出てきて、口の中に刺さるそうである。おげえ。 笑ったのは、細川さんが吐き出すたびに画面に「本当は強いライダーの活躍をご覧ください」と『響鬼』の画面が流れること。伊集院光から「このライダー弱え!」と突っ込まれていたが、魔化魍には強くてもインリンの料理には勝てないのだな(笑)。魔化魍の出没する地域にインリンの料理を置いといたら、自然に駆除できるんじゃないか。 しかし細川さん、無精ひげが結構伸びてたけれど、『響鬼』の方で山篭りするシーンでも撮っているのだろうか。
武居俊樹『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』(文藝春秋)。 タイトルはなんだかふざけているように聞こえるだろうが、これは立派な「マンガ家・赤塚不二夫」の評伝である。今後、赤塚不二夫について何か文章が書かれることがあるとしても、その際には必ず本書が参考文献として巻末に載せられることになるだろう。それほどに本書は赤塚不二夫の本質を忠実に描いて粉飾するところがない。 長年の赤塚さんファンならば、作者の名前を聞いて、それが誰であるかを察することはできるだろう。「タケイ」と聞けば「少年サンデー」のデカバナタケイを、「イガラシ」と聞けば「少年マガジン」の「デガラシ」を思い出す。どちらも赤塚さん担当の編集者であるが、二人とも赤塚マンガにおける「マンガキャラクター」であった(ほかにも実在人物の赤塚キャラと言えば、男ドブスの水島新司・牛次郎とか、カメラ小僧の篠山紀信とかがいるが、彼らはホンモノとは全然似ていないキャラデザインである)。 赤塚不二夫のことを書ける人間はこの二人の編集者に如くはないが、五十嵐隆夫さんが『天才バカボン』一作の担当であったのに対し、武居さんは『おそ松くん』『天才バカボン(マガジンから一時的に移籍)』『モーレツア太郎』『レッツラゴン』と、そのギャグの「進化」を、身をもって語れる立場にあった。この事実は、本書を執筆するにおいて重要なファクターとなっている。すなわち本書は、一人のマンガ家の評伝としての意味だけでなく、そのマンガ家の精神史を描くことによって、日本ギャグ史を描くことにも繋がっているからである。 昭和40年前後のフジオ・プロが、赤塚さんを中心として、長谷邦夫、古谷三敏、横山孝雄、竹中健治、高井研一郎、北見健一(現・けんいち)、芳谷圭児、あだち勉らによるアイデア・作画の完全分業体制で作られていたことは当時から知られていたことである。 ストーリー及びギャグは赤塚、長谷、古谷、それに武居記者が加わって練り上げる。それを元にして、ネームは赤塚さん一人がこなし、下描き、ペン入れ、背景、仕上げを残りのスタッフに委ねるという作業過程である。 そのようなプロダクション制を取っていたためだろう、本書には次のような記述がある。「赤塚は、『赤塚不二夫』というペンネームは、自分一人のものではないと思っている。符合だと思っている。自分はその代表者だと思っている」と。しかしそれは私にとってはかなり意外なことであった。 確かにフジオ・プロがさいとう・プロに先駆けてそのような分業制を取っていることは私も昔から知ってはいたが、あの一時代を画したギャグ・ギャグ・ギャグを見せつけられていたせいで、作家性の強い人だと思い込んでいたのである。私は他のアシスタントは赤塚さんの影響下にあるお手伝い人程度にしか認識していなかったのだ。事実は全くの勘違いであった。 もちろん赤塚さん自身もキョーレツな個性の持ち主である。しかし更にキョーレツな人々が、まさに多士済々、赤塚さんの周りには群れ集っていた。何に驚いたかというと、『おそ松くん』に登場するキャラクターで、主役のおそ松たちを「食って」しまって後半の主役に躍り出た脇役たち、イヤミ、チビ太、ハタ坊、ダヨーン、デカパン、彼らはみんな古谷三敏のデザインだったのである。それじゃあ後半の『おそ松くん』は殆ど「古谷三敏とフジオ・プロ」名義でも構わないほどだ(逆に古谷さんの初期の『ダメおやじ』のストーリー、アイデア、ネームは全て赤塚さんが担当していた)。 しかも、その協力者たちが実力を付けていくと、赤塚さんは次々と独立させていく。となれば当然自分の作品のアイデアマンが減って行くわけだが、そんなことを赤塚さんは意に介さない。『レッツラゴン』の時にはもうアイデアは赤塚、武居の二人だけで担当している。そして、ネームも作らずにそのまま原稿を描いていくという殆ど「セッション」のようなスタイルでマンガを描いていくのだ。あの「ギャグの極北」のようなマンガが成立していたのは、先を考えずに連想だけで描いていっていたからだったのである。
武居さんは『レッツラゴン』の『伊豆の踊子』の中身をこう紹介している。 「馬鹿熊のベラマッチャが、学帽にマント姿で伊豆を旅していて、踊子に出会う(私注・当然ドブスである)。踊子に連れて行かれて、ベラマッチャは、旅館に泊まる。旅館の主が出てきて『学生さん』と呼びかける。ベラマッチャが『なんだね、ドストエフスキーくん!!』と答える。(中略)そこから一気に、狂気の世界に入っていく」 作中ではあとの展開が書かれていないが、言葉では説明のしようがないくらいに脈絡がない。ベラマッチャは最後にはついに夏目漱石になってしまうのである(ということは夏目房之介はベラマッチャの孫か)。
私が好きな『レッツラゴン』のエピソードはこんなのだ。 男ドブスの水島牛次郎は、ドブスのあまり、全ての存在から嫌われている。人からだけでなく、モノからも嫌われているのだ。寝ていると、布団から嫌われて朝目覚めると裸になっている。卓袱台を出そうとすると、卓袱台はヘタる。食事をしようとするとおかずは「さあ、殺せ!」と言って泣く。背広は着られてくれない。ベルトは締めてくれない。靴は履かれてくれない。ウンコはドブスの体内から出られて嬉しくてダンスを踊る。ところがそんなドブスを見ても、馬鹿熊のベラマッチャだけは、少しも嫌うそぶりを見せないのだ。けれどそれはドブスをぬか喜びさせるためのイジメだった。怒ったドブスはベラマッチャを殴り倒して自分以上のドブスにする。やっと二人は仲よくダンス。オチは赤塚さんのモノローグで、「この男ドブスは実在します」(注・確かに、水島新司と牛次郎のご面相はお世辞にも美男子とは言えない。けれど赤塚さんの描く似顔絵はホンモノの100倍もドブスである)。 この「水島新司・牛次郎ドブスネタ」は当時の赤塚漫画ではしつこいくらいに繰り返されていた。よく、水島新司と牛次郎が怒らなかったものだと思う。 文字では伝えにくいが、赤塚マンガのアナーキーさが少しはご理解いただけるだろうか。 そんな作り方をしていけば、作品が破綻していくのは目に見えている。『レッツラゴン』が赤塚さんのマンガの実質的な終点だった。それ以後の作品に見るべきものはない。それはずっと赤塚マンガを追いかけていた我々ファンにもハッキリと判った。そんな悲しい事実すら、武居さんは何一つ遠慮せずに冷徹に記していく。 赤塚さん一人で描いた『クソばばあ!』は面白くもおかしくもない駄作になった。創刊したマンガ雑誌『まんがNO.1』は長谷邦夫の個人誌と化し、潰れた。詐欺に引っかかり、ヤクザに追いかけられ、愛人を作り、最初の妻と離婚した。アル中になり、マンガも描けなくなり、アシスタントたちも全ていなくなった。まさに転落人生としか言いようがない。 ところが、それらの出来事を記す武居さんの筆致は、扇情的な暴露にも告発にもならず、またお涙頂戴の感動ドラマにもならない。そこにあるのは、まさに一つの「歴史」だ。司馬遼太郎の歴史小説である。これはとても恐ろしいことだと思う。しかし同時に、人間を描くとはまさにこういうことかとも思う。 作品作りのみならず、赤塚さんの私生活にも「密着」していた武居さんだからこそ書けたことだとは言え、この冷徹さは残酷に過ぎるほどに見える。しかし恐らく、武居さんのその残酷さも、赤塚さんとの二人三脚の中で培われてきたものなのだ。
赤塚さんが脳内出血で倒れ、昏睡状態となったのが平成十四年の四月。今もまだ赤塚さんは七十歳の誕生日を目前にして眠り続けている。 武居さんは今年刊行された赤塚不二夫傑作選の『レッツラゴン』の巻末ではその事実をぼかして書いているが、本書は評伝としての意味合いがあるので、あえてその事実を書いている。 もう赤塚さんの新作を読むことはかなわない。 その残酷な事実を書いてなお、武居さんはこう書いた。 「僕が赤塚のことを言うなら、こうかな、と思う。 『女好き、大酒を飲む子供、小心者、歩く幼稚園、泣き虫、マザコン、人情家、天才漫画家』 そして最後は『不死鳥』と結ぼう。 不死鳥だったら、立ち上がって、四文字言葉を叫んでみろよ!!」 だからこの評伝は、愛の物語なのだ。 胃の腑をえぐるほどの罵倒語で綴られた愛の物語なのだ。 読むべし。
本名・赤塚藤雄、昭和十年九月十四日、満洲熱河省生まれ。 私の父はその八日後に生まれている。母は同じく外地である台湾・台北にいた。トキワ荘の仲間たちがみなそうであるように、赤塚さんは私の両親と同時代人だ。個性的でバラバラに見える彼らに共通するキーワードはやはり「戦争」だろう。 しかし、手塚治虫も、石森章太郎も、藤子不二雄もみな「戦争」あるいは「反戦」マンガを描いていたのに、赤塚さんは殆どそんなマンガを描こうとしなかった。もちろん、そんな必要はなかったのである。赤塚さんのアナーキーでナンセンスなマンガの全てが、戦争を含む人間の下らん生き様を笑い飛ばしていたのだから。
2004年08月24日(火) 江角英明さん追悼 2003年08月24日(日) キッチュと言うか、トンデモなのかも/『爆龍戦隊アバレンジャー』第26話/DVD『キノの旅』2・3巻ほか 2001年08月24日(金) 祝! 退院!/映画『RED SHADOW 赤影』 2000年08月24日(木) たまには一人で映画を見る日もあるさ/映画『怪異談・生きてゐる小平次』ほか
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