無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年08月31日(水) がんばれサイバラさん/『8MAN infinity(エイトマン・インフィニティ)』number.1,2(七月鏡一・鷹氏隆之)

 今日も晩飯は「東那珂食堂」で。
 私はすき焼き、唐揚げ、豆腐に野菜天。しげはまたサバの味噌煮を取ってきて、身が毟れずに私に余りを寄越す。余りと言っても半分も身が取れていないので、残飯処理じゃなくて半分分けにしたようなものだ。
 私が骨ごと全部食べるのを見て、しげは「喉に刺さらんと?」とコワゴワ聞いてくる。
 「刺さらないように食うんだよ」
 「刺さるよ絶対」
 「細かく噛み潰せばいいの」
 「噛み潰せんよ。歯と歯の間にハサカルよ」
 「お前は赤ちゃんか。噛み方も分からんか」
 「だって子供のころは、身を全部取ってもらってたから」
 ……箸の使い方はやっぱり子供にはきちんと教えとくべきだよなあ。

 帰宅して水曜のお楽しみ『愛のエプロン』。
 今日はメニューがスパゲティーミートソースにマカロニグラタンとごく普通だったので、概ねみなさん「食べられるもの」を作る。
 いつも思うことだが、青木さやかが「意外に(失礼)」料理が美味いのは、結構「売り」だと思うのである。わざと「ヨゴレ」を演じてるけど、うまく使えばこの人もいい女優になれると思う。
 瀬川瑛子に西村知美は順当に及第点、安めぐみと松原のぶえがどうしてスパゲティで失敗するかなってくらいに激マズであったようだが、松原のぶえ、貶されてマジ泣きするのはどうかと思うな。「小麦粉と片栗粉を間違える」という、しげ並の失敗をやらかしているのである。主婦やってたことがあるとは信じられんよ。
 逆に安めぐみのように、「スパゲティを湯がかずに出す」(当然ナマである)くらい天然だと、かえって諦めがつくかもしれない。もちろん私はしげの料理はとうの昔に諦めているのである。 


 さてまあ、前々からウワサだけはされていた『テニスの王子様』が実写映画化である。
 連載マンガやアニメは最初の何話か見ただけで飽きちゃったので、映画館まで足を運ぶかどうかは分からないのだけれども、テニスシーンとかは『ピンポン』みたいにCGで表現するんだろうなあ。ストーリーはともかく、そこんところはどんな出来にるものか、見てみたい。テレビの『エースをねらえ!』みたいに、昔ながらのカット割りでの誤魔化しで見せるだけだったら、わざわざ映画にする必要はないんである。監督が誰になるのか知らないのだけれども、その点をちゃんと「分かってる」人にやってもらいたいものだ。
 ただ、不安材料はほかにいっぱいあって、『テニプリ』の場合はテニスシーンよりも、逆に日常のシーンの方が実写化は難しいんじゃないかという気もしてしまう。ともかくフツーの人間が日常で使うセリフなんて、一切出てこないもんな。ハッタリかましたセリフを生身の人間がそれらしく演じるためには、もう全編「ギャグ」になってしまうくらいの勢いが必要になるんだが、そういう仕立てにしちゃうと今度は『テニプリ』ファンが怒って一斉蜂起しちゃうだろうし。
 どっちかっつーと、映画の出来よりも、その周辺のファンの狂いっぷりを見てた方が面白いかもね。でも腐女子が騒げば騒ぐほど、一般観客の足が遠のくことは『鋼の錬金術師』の興行収入の落ち込み具合でも立証されていることだ。『テニプリ』ファンのみなさん、あまりキャストがどうの監督がどうので熱くなり過ぎないようにしようね。
まあ、一昔前ならば「お笑い」にしかならなかったスポーツマンガの実写化が一応の成功を見せるようになってきたことは、映画の可能性が広がったという意味で喜ばしいことかなとは思う。案外、CGの一番のご利益ってそれかな、とか思ったりもする。

 しかし、去年もいろいろあったけど、今、マンガやアニメの実写化で公開を控えてるのってどれだけあるんだ?
 『魁!クロマティ高校』(福岡じゃまだなのよ)に『NANA』や『頭文字D』はもうじきだし、あとは『三丁目の夕日』や『ハチミツとクローバー』と続く。『ミラーマン』もどうやらデザイン的にはマンガ版の方をベースにするみたいだから、一応、中に含むか。
 こういうラインナップを見ていると、同じマンガと言っても客層が見事にバラバラであることがよく分かる。これを全部見に行ってたら、逆に「どういう趣味?」とか言われそうだ。
 私を知る人などは多分『NANA』まで見に行くつもりなのか!? と驚く人もいるかもしれないが、あれはまず間違いなくヒットする。しかもそのファン層の中心になっているのは腐女子ではなく、下手をすればマンガファンですらない。「普段はマンガを読まない女の子たち」ですら『NANA』だけは読んでいるという現象があるのだ。
 ドラマそのものを面白く見られるかどうかは分からないけれども、それがなぜヒットしたかって現象の原因を分析することはできる。映画の面白さは、ドラマ部分よりも映画がその時代をどう象徴しているのかってことに現れている場合もあるのね。
 『NANA』はマンガファンの枠を越えてヒットしている。同時公開の『仮面ライダー響鬼』はまず立ち打ちできまい。オタク人気が異様に高い『響鬼』だけれども、『響鬼』に見向きもしない層が『NANA』を見ている。二つの映画は全く違うけれども、「どう違うのか」ということは見てみないことには語りようがないんでね。
 だから間違っても「宮崎あおいが目当てで見に行きたいんだろう」なんて突っ込んじゃいけないのである(笑)。


 西原理恵子さんの『毎日かあさん』を巡ってのトラブルがちっとばかし大きくなっている。『毎日かあさん2 お入学編』を御読みになった方なら、その「トラブル」の原因が何であるかは先刻ご承知であろう。
 簡単に言ってしまえば、西原さんがマンガの中に自分の息子の通う小学校の様子をセキララに描いているのが、コトナカレな武蔵野市にとっては甚だ都合が悪かった。で、西原さんに「学校を作品の舞台にしないでほしい」と申し入れ、西原さんとしては当然、そんなん、表現の自由の侵害やないか、ということで、諍いが起きているのである。
 何が問題になったかって言うと、父兄参観の日に「クラスの五大バカ(注・西原さんちの息子含む)は机にきちんと座る以外は何でもする」と、その傍若無人ぶりを描いてるあたり。読売新聞はエラくて、当該のコマをちゃんと紹介しているが、それを見れば一目瞭然、要するに学校側としては「学級崩壊」の様子を世間にバラされちゃったのがむちゃくちゃ都合が悪かったってわけだ。
 この件について詳述し出したら、それだけで原稿用紙100枚は突破しかねないので、もうヒトコトで意見をまとめてしまうが、「この程度のことでオタつくんだったら学校経営なんてやめちまえボケ」である。非は全面的に学校の側にあり、西原さんはちっとも悪くない。苫小牧高校の件と同じでね、不祥事は隠しとこうって「隠蔽体質」が染みついているからこんな対応をするわけであってね、「描かれて困るような教育をしている方が悪い」に決まっているではないか。
 もうなんかね、学校とかPTAのね、言葉だけは「子供の人権」を守るとか言ってるけどね、内実はこんなバカ学校なんだと後ろ指刺されるのがイヤだって思ってるだけなのがモロ見えでね。教育者としてそんな姑息な手段に出ることが恥ずかしくないのかって本気で思うね。
 だからこの小学校の何が大バカかって、西原さんに文句つけた時点で、このマンガに描かれていることが紛れもない「事実」であることを世間様に証明しちゃった点なんである。せっかく西原さんが「あくまでフィクションです」って言ってくれてるのに。
 ここで重要になるのは、西原さんの息子が「たまたま」通った学校がこういうどうしようもない対応しかできてないというその「偶然性」である。では、もしもほかの学校であったら、この程度のことをマンガに描かれたからといって、笑って鷹揚に構えるくらいの度量を見せられたであろうか。私にはそうは思えない。恐らくは、日本全国津々浦々、殆どの学校はやはり「マンガに描かないでくれ」と懇願するか恫喝するような、低レベルな対応しかできない愚劣な教師ばかりが幅を利かせているのだろう。即ち、「学級崩壊を起こしていない学校の方が少ない」ということなのである。
 こんな小学校に子供を預けていたら子供がもっと馬鹿になってもおかしくない。定めし来年からは入学する生徒が激減するであろう……と予測したいところだが、学校にとってはありがたいことに、どんなに不祥事が起きても、少子化以外の要因で生徒の数が減ることはまずありえない。たいていの親は交通費とかカネの関係で子供を近場の学校にしかやらない。学区制を越えて子供を名門校に入れるなんてムダなことはしないんだよね。
 だから、まさしくこの学校は自分たちの「面子」を守るとか、「見栄」のためだけに西原さんを押し込めようとしていると断定して差し支えないのである。こうしてニュースになったことで、武蔵野市の教育委員会にも「教育者が言論弾圧してどうするんだアホンダラ」という苦情が殺到することと思うが、できればそこで武蔵野市も自分たちのバカさ加減に気が付いて、振り上げた剣を鞘に収めてほしいものである。まかり間違って市当局が西原さんを訴えるなんて事態になったら、私ゃ「西原さんを守る会」を発足させて全国に呼びかけるぞ。署名集めちゃうぞ。
 私は政治運動ってやつはいっかな好きになれないが、こんな公権力をタテにしてマンガを弾圧しようなんて動きには本気で腹が立つんで、もし本当に「運動」することにでもなったら、お知り合いの方々、数少ない読者の皆様方、ご協力お願いいたします(もちろん強制ではありません)。

 西原さん関係で思い出したけど、下村嬢が先日西原さんのサイン会に行って、ヘルメットにセッ○ス鳥の絵を描いてもらったのを写メールで頂いたのであった。御礼が遅れて申し訳ない。眼福でした。


 マンガ、七月鏡一原作・鷹氏隆之漫画『8マン・インフィニティ』number.1,2(講談社)。
 平井和正・桑田二郎の『8マン』の「正統な」続編。っっても、原作マンガを「ちゃんと読んでる」世代って、我々くらいのものなんだが、若い読者は付いて来れてるんだろうか。逆に読んでいる世代は、その設定のあまりの変化にちょっと付いていけないものを感じる部分もあるかもしれない。以前のアニメ版『8マンAFTER』との関係はどうなってるんだとかの問題もあるし。
 何分、物語がかなり複雑になっている上に謎も多々あるので筋を紹介しにくいのだが、舞台は8マン=東八郎(あずま・はちろう)が失踪してから数十年の時を経たメガロポリス・東京。8マンはかつてのボディーを失い、電脳世界にその「魂」だけが存在している。そして彼は「∞(インフィニティ)」のボディーを受け継ぐ「新しき者」=「8マン・ネオ」となるべき人物を探していた。そして8マンの使者たるマシナリー(電脳の進化の果てに生命となった存在)の少女・アンナ・ヴァレリーを救おうとして命を落とした16歳の少年、東光一(ひがし・こういち)に、新たな命が与えられた……。
 『8マン』からの継続出演キャラクターは、今のところ(回想シーンを除けば)、8マン本人、田中課長(退職して自転車屋になっている)、それに谷博士らしき「ヴァレリー」なる謎の人物。今回はこの「ヴァレリー」が組織した「ジェネシス」及び下部組織である「ハンター機関」が、8マンを追う「敵」として現れている。かつての師弟が敵味方に分かれたのか? と思わせるような設定だが、まだ真相は隠されたままだ。
 与えられた力をどう扱ってよいか分からない光一をサポートするアンナが、未だ人間の感情を知らないマシナリーであるというのは、よくある設定ではあるが物語を牽引して行く要素としては充分に機能している。キャラデザインは何かありがちでホシノ・ルリっぽいけどね。
 ほかに、サービスのつもりではあろうが、平井和正・桑田二郎の別作品からキャラクターや設定を持ち込んできているのは、嬉しいような安易なような、微妙な印象である。
 「8マン」と「超犬リープ」がコンビを組むなんて、こんな嬉しいことはない、と言いたいところであるが、そうなるとイメージが『新造人間キャシャーン』のキャシャーン&フレンダーに近くなっちゃうのね。リープには当然言語を理解する能力があって、自分たちを改造した人間を憎んでいるという点でちょっと工夫はあるんだけど。ほかにも『エリート』『デスハンター』『幻魔大戦』などからキャラクターがちょくちょく流入。しかし林石隆は息の長いキャラクターだ。リアル林は今いったいおいくつだろうか。
 「ジェネシス」が開発した「マシナリー」が、8マンも含めて9体あるというのも。今回新たに付け加えられた設定である。その4体目・林芳蘭はもちろん美少女キャラであるわけだが、「4th」に変身したときのスタイルがまたプラグスーツっぽいのは「萌えてください」ということなんだろうか。まあ、人間体のときよりこっちの方がずっと魅力的なんだけれどもね。
 個人的には『8マン』にはあまり萌え要素を持ち込んでほしくはないんだけど、まあオリジナル版でもサチ子さんにセクシャルなものを感じてた手合いはいたようだし、現代に『8マン』を蘇らせようとしたら、どうしてもこうなっちゃうのかね。
 作画が今ひとつデッサン不足な上に垢抜けてないのが魅力を減殺してしまっているが(ある意味、『8マン』としては致命的なのだが)、デーモン博士はまだ生きているのかとか、オリジナル版を愛していた身としては、どうしても「続編」は気になってしまうのである。「映画版」のようにあっという間にポシャるようなことにならないでほしいものだと、これは切に願うものなのである。潰れるなよ『マガジンZ』。

2004年08月31日(火) 夢語りは現実語り
2003年08月31日(日) 充実の休日。シャレかい/映画『乱れからくり』/『チキンパーティー』1巻(金田一蓮十郎)/『よつばと!』1巻(あずまきよひこ)ほか
2001年08月31日(金) おたくはセールス電話、おおくありませんか?/DVD『スペースカウボーイ 特別編』ほか
2000年08月31日(木) 耳掻きしてたら血が出た……/『心理試験』(江戸川乱歩)ほか



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