無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年09月02日(金) 負けるな小林雅文!/映画『ノロイ』

 たまに行われる「日本人の宗教観」に関する意識調査、先月初旬に読売新聞が行った結果が、今朝発表になった。
 別におかしな結果が出たわけではなく、「何か宗教を信じているか」との質問に対し、「信じている」が23%、「信じていない」は75%。「宗教は大切であると思うか」という問いには、「大切」が35%、「そうは思わない」60%。つまりは「日本人の四人のうち三人は宗教を信じていない」という結果が出たことになる。
 養老孟司さんは、盆や正月の習慣が消えていないことを挙げて、「日本人に宗教観がないわけではない」と説明されてはいるが、少なくとも欧米の考える宗教とは全く性質を異にしていることは間違いのないところだろう。よく「国際社会において、無宗教であると表明することは神をも恐れぬ危険人物と見なされる」と問題視されることから、仕方なく「Shintoist」「Buddhist」と名乗れと言われてはいるが、現実に純粋な神道家や仏教徒など、日本人には殆どいない。神道も仏教も、我々にとっては「箸と茶碗で飯を食う」のと同等の、ただの「習俗」だからである。
 習俗が宗教だとは言えないのは絶対性を持たないからである。キリスト教徒が神を冒涜すれば、これはもう、悪魔の所業であって、「天罰」が下されることを覚悟せねばならない事態である。仮に「そんなことあるもんか」と思っていても、一抹の不安は残る。それが「宗教心」というものだ。しかし、宗教が習俗化した場合、そのような神の絶対性は殆ど有形無実のものとなる。「腹出して寝てるとカミナリ様がヘソ持ってっちゃうぞ」と言われても、本気でヘソを取られると思っている日本人は誰もいない。けれどもやはり親から子へ、子から孫へとその言い伝えだけは受け継がれていくのである。これが「習俗」というものだ。だから、霊魂なんて存在しないと思っていても墓参りができるのである。
 日本人には習俗はあっても宗教観はない。これは国際社会にあってはとても理解しがたいことだろう。仏教徒だとかウソをついて見せたところで、そんなのはすぐに化けの皮が剥がれる。「日本人であること自体が神を冒涜している」のである。だから、日本人がどうあがいたところで、真の意味で国際化することなんてありえない。世界が「宗教を持つこと自体が罪悪である」と認識しない限りは。
 そんなことは不可能だって? それはそうだ。けれど、それがやれなきゃ、日本はいずれ「悪魔の国」の烙印を押されかねないのだ。そしてそのためには日本人がもう一つ、克服しなければならない課題がある。
 調査では、「神や仏にすがりたいと思ったことがある」人が54%に達していて、「ない」の44%を上回っている。宗教を「信じていない」人の中でも、「すがりたい」人のパーセンテージは47%だった。神様なんていないことを知っているから、自分の力ではどうにもならないような事態に直面したときに、かえって「神様がいたなら」と思ってしまう。これは、日本人の心がいかに脆弱であるかということを如実に示している。
 日本人は弱い。そりゃもう、世界で一番軟弱な民族だと言い切ってもいいくらいだ。日本人の美徳として、謙虚さとか、奥ゆかしさとかが称えられることは多いけれども、そういうのは実は「宗教」という精神的な支柱が欠落しているために起きる「臆病さ」でしかない。苦しいときに頼まれてしまうその「神」とは、実は西洋の絶対的な存在ではなくて、ただの習俗としての神でしかないのだ。
 だから、日本人は本気で「強く」なろうとするのなら、たとえどんなに苦しい目にあっても、「神頼みだけはしない」くらいの精神力を持たなきゃならないのである。 ……ムリかな、やっぱ。

 
 しばらく書くことはないかなと思ってた、高校野球の不祥事の問題。
 今度はお膝元の福岡ですよ(涙)。
 甲子園代表の常連で、今年の夏も出場した柳川高校の野球部員二年生が、一年生部員に対して練習態度が悪いとの理由で、箒の柄で殴ったりしてけがを負わせたとのこと。高野連は柳川校の対外試合を禁止する臨時措置を決め、この結果、来春の選抜大会につながる秋季福岡大会には出場できなくなった。
 事件が起きたのが先月の末、数回に渡ってだと言うから、高野連の通達はまたまた無視された形になる。もう断定しちゃって構わないと思うが、野球やってるやつなんて頭ノーテンパーの猿ばっかなんじゃないか(昔、そんなこと言ってた野球選手がいたなあ)。
 ちょっと世間の注目を浴びてチヤホヤされただけのことで、自分たちがやってることがたかか高校の部活動に過ぎないという事実を忘れてしまい、何をやったって構わない立場にいると思いあがってしまっているのである。でなきゃ、こいつら、「喉元過ぎる」のがあまりにも早すぎるだろう。暴力振るっても「バレるわきゃない」くらいに舐めてたんではないか。記事には出ていないが、被害者に脅しをかけてた可能性だってある。そのメンタリティは殆ど「犯罪者」に近い。
 これだけ事件が続発しても、まだ野球部員たちに対して同情的な意見を述べたがる能天気な連中は多いだろうが、これが「一部の不心得者」の仕業などではないということに、いい加減で気付いたらどうなんだろうね。教育効果のない部活動なんか存続させる意味がどこにある。だから一回、甲子園大会を中止させるくらいの大鉈を振るわなきゃ、この陰湿な体質は絶対に治らないって。
 こうなるともう、野球ファンでも高校野球ファンでもない外野としては、「次はどこの学校の不祥事が発覚するかな」って陰険な見方をしたくなるね。それでまた野球トバクができたりしてな。
 そこのピュアなお方、もしあなたがまだ「健全な青春の汗と涙」なんてものを高校球児に見出そうとしてるんだったら、それって全くの幻想なんですからね。あいつら有名になって女とヤルことしか考えてないやつが大半なんだから。


 夕方、父の店に出向いて、姉にしげの髪を摘んでもらう。
 もうかなり伸びてきていて、いかにも鬱陶しそうだったし、ハカセの結婚式にも出なければならないから、「バッサリ切ってもらったらと言ったのだが、父も姉も「結婚式に短い髪じゃいかん」と言うのである。どういう理屈だかよく分からないのだが、結局、前髪、後ろ髪を切りそろえる程度にしておいた。それでも少しは明るい雰囲気になる。

 父を誘って、志免の「ウエスト」で焼肉。父のマンションの近所だけれど、父は今まで入ったことがなかったそうだ。適当に注文したら、なぜか注文した倍くらいの量の肉が並べられて驚く。ウェイターさんが入力ミスしたんだろうと思うが、今更戻せとも言いにくいので、ひたすら三人で食べる。糖尿二人に肝機能障害一人で焼肉食いまくるというのも困った図式なのだが、たまにはこういうことがあるのもしようがない。


 夜、ダイヤモンドシティのワーナーマイカル福岡ルクルで映画『ノロイ』。
 この「ノロイ」という発音を私はつい「“ノ”ロイ」と「ノ」にアクセントを付けて発音してしまうのだが、これはもちろん『ガンバの冒険』に出てくる大イタチ「ノロイ」の影響である。カタカナで書かれちゃうととどうしてもねえ。チケットを買う窓口では気をつけて「ノ“ロイ”」と言ったのだが、そしたら受付のねーちゃんが「『“ノ”ロイ』ですね」と返事をしたので驚いた。別にこの子が『ガンバ』のファンだとは思えないのだが。
 公開劇場数が少ないので、興行収入の上位に食い込んではきていないのだが、低予算映画としては、充分ヒットしているらしい。事前情報をあまり仕入れずに見に行ったのだが、『六番目の小夜子』の松本まりかが本人役で出演(つかほぼ主演)していたので驚いた。声が鼻声で癖があるけど、使いようによっては伸びると思っていたので、ちゃんと活躍してたのが嬉しい。

 物語は「怪奇実話作家の小林雅文」が謎の失踪を遂げ、残されたビデオテープに衝撃的な映像が残されていたという仕立てになっている。要するに『ブレアウィッチ・プロジェクト』の線なのだが、お話の中心に「小林雅文」という何ともバイタリティー溢れる、そしていささか向こう見ずというよりはかなり抜けたキャラクターを設定したおかげで、全編爆笑に継ぐ爆笑の「川口浩探検隊」風のトンデモ番組に仕上がっていた。
 もちろん、「小林」も最初の取材はまだまだおとなしめである。とある主婦からの「隣の家からいないはずの赤ん坊の泣き声が聞こえる」という投書で、「小林」は件の家を訪ねるのだが、その家に住む女・石井潤子は、「なんでそんな言い方ができるんだよ!」と意味不明なことをわめき散らすばかりである。このときは「小林」はあっさりと引き下がるのだが、この時のビデオテープに、奇妙なノイズが収録されていたことから、「小林」は不屈の闘志を持って事件の解明に取り組んで行くことになるのだ。石井潤子はこの直後にいずこかへ引っ越し、なんと取材した主婦と娘さんが事故で亡くなってしまうのだが、普通のレポーターならこの時点で怖がって取材を諦めるところだ。ところが我らが「小林雅文」は決してくじけない。
 全く事件とは関係ないと思われた超能力少女が透視した奇妙な顔の映像、心霊番組に出演した「霊能力者」の呟いた謎の言葉、アンガールズと松本まりかが心霊スポットを取材したときに映っていた白い子供のような影。一つ一つの現象が絡み合って、大きな幹を作り上げていく様子を「小林雅文」は臆することなく追っていく。「小林」の行くところ、呪殺されたとしか思えない死体が山積みされていくが、「小林」はあたかも“自分にだけは呪いがかからないと確信しているかのように”取材を続けていく。不法侵入も平気の平左、向かうところ敵なしである。いったいその自信はどこからくるんだ「小林」! つか、取材する前に警察にちゃんと通報しろ! お前は名探偵コナンか!
 「危険から守るため」と称して松本まりかを自宅にかくまったりしてるが、プロダクションとマネージャーがよくそんなこと許したものだ。まさか黙って匿った? もしそうなら「小林」が誘拐犯である。
「小林」はようやく全ての謎を解く「禍具魂(かぐたば)」という言葉にたどり着いて、かつてダムの底に沈んだ「下鹿毛村」で行われていたという「鬼祭(きまつり)」の存在を知る。そしてその祭りで最後に巫女を務めていたのが石井潤子だったのだ……。
 「小林」(及びカメラマン)の何が立派かと言って、たとえどんなに自分に危険が迫ったときであっても、決してビデオカメラから手を放さないことである。おかげで決定的瞬間の映像がどれだけ撮れたことか。超能力少女がポルターガイスト現象を起こしたときなんか、よくぞその瞬間に居合わせたものだと、その運のよさには拍手を送ってあげたいほどだ。ついうっかり、カメラを落としてしまったときでさえ、カメラは「絶好の角度で」「絶妙の位置に」落ちて、やはり決定的な瞬間を撮り逃さない。
 きっと「かぐたば」さんは自分を撮ってくれる人が現れるのをずっと待っていたのであろう。だから最後まで「記録者」である「小林」は殺されることがないのだ。……私を見て! 私を撮って! ってなもんですかね。おちゃめさんね、カグタバっちって。

 もちろんこの「映画」は、ドキュメンタリータッチを装ってはいるが、全てフィクションである。
 当然そのことを知った上で、「らしさ」と「わざとらしさ」の「あわい」を楽しむためのもので、パンフレットにも書いてあったことだが、「モンドフィルム」の流れにあるものである。
 スタッフは実に凝り性で、「小林雅文」が実在していてもう何年も前から活動していたかのようにホームページを立ち上げ、架空の出版社まで存在しているかのように見せかけている。もちろん、内容をよく読めば「これはフェイクですよ」という印はちゃんと示されているので、そこに突っ込む楽しみがちゃんと提供されている。
 映画本編も、たとえ事前情報を全く知らない人が見ても三分でこれは「本物らしく見せかけたフィクション」であることがちゃんと分かるように仕立てられている。ドキュメンタリーならモザイクかけるはずのところに一切そういうのがないもんな。だからこれは決して「ホラー映画」などではなくて、「ホラー映画仕立てのお笑い番組」なのである。

 だからまあ、私は、まさかこの映画を見て、「このお話は本当にあったことなのかどうか?」なんて迷って怖がる手合いが存在しようとは思いもよらなかったのだ。
 ところが帰宅して、カトウ君の日記に『ノロイ』について書いてたのを読んでみて、「これはウソんこですからね!」と力説していたので、あれれ? と首を捻ってしまった。カトウ君は「ネタバレ」になることを気にしていたようだが、『ノロイ』がヤラセ番組であることはネタバレでもなんでもなくて、観客の常識である。どこの世界に「川口浩探検隊」が本当だと信じているやつがおるか。オアソビなんだから、監督や出演者や製作会社が宣伝上、嘘ですよと言えないのは当然のことである。これは映像を見ながら「がんばれ小林雅文! 負けるな小林雅文!」とエールを送りながら見る映画なのである。

 「小林雅文が〜廃墟に入る〜♪
 飴で作った蜘蛛の巣や〜、おもちゃの鳩の死骸だらけの〜、廃墟に入る〜♪
 廃墟の中には〜、首吊り死体がある〜♪
 どう見ても重心が〜、肩の方にズレている〜、首吊り死体がある〜♪
 死体の向こうには〜、誘拐された子供たちがいる〜、何ヶ月も風呂に入っていなくて〜、飯もろくに食ってないはずなのに〜、妙にツヤツヤとしてメイクまでしている子供がいる〜♪
 行け〜行け〜、コバヤシマサフミ、行け〜行け〜、コバヤシマサフミ、行け〜行け〜、コバヤシマサフミ、どんと、行けー♪」

 もしかしたら、世間には、この程度のオアソビも理解できない連中が意外と多いのか? と不安になった。
 でもってネットを調べてみたら、さすがに完全に信じ込んだ例はそうそう見当たらなかったが、「半信半疑さん」は結構いらっしゃる。「半疑」だってするこたないだろう、アンガールズも「オクラ映像を勝手に使われた」とかわざとらしく騒いでいるけれども、それも「仕込み」だよ、とネットを散策しながらそんな意見にぶち当たるたびに突っ込み入れながらタメイキをつくハメになってしまった。
 中には、ウソだと分かったあとで、「こんな人を騙すような映画の売り方をするなんて許せない」なんてマジメに怒ってらっしゃる方もかなりいらっしゃる。だから「本当らしく」見せかけてはいるけれども「ちゃんと嘘だ」と分かるように仕立ててるんだから、これは「騙し」でも何でもないの。本気で騙されるやつの読解力があまりにも足りないだけの話だ。だいたいこれが実話の取材だったら、こんな事件がほかでニュースになっていないことの方がおかしいだろう。
 そんなこんなで、この映画の「Yahoo」掲示板での評判はかなり悪いのだが、やっぱり「映画の見方も分からない」手合いがもう世間にはうじゃうじゃいるってことなんである。文化の継承ってのはこんなにも難しいことだったんだなあと再度タメイキ。

 『ノロイ』のパンフレットを見て知ったのだが、諸星大二郎の『妖怪ハンター』シリーズの一編、『生命の木』が、『キダン(奇談)』と題して映画化とか。またもやマンガの実写映像化であるが、一番期待しちゃうのはこれになりそうだなあ。原作、ムチャクチャ好きだし。
 稗田礼二郎は前作『妖怪ハンター ヒルコ』の沢田研二に代わって、阿部寛とか。また『トリック』演技をされてもちょっと困るが、できればスタイルは原作通りにしてほしいね。
 映画化に合わせて諸星さんがまた原作シリーズを再開してくれると嬉しいな。そのときはきっと「稗田先生って阿部寛に似てるわね」という台詞が出てくるのであろう。
 キャッチフレーズはぜひ「おらといっしょにぱらいそさ行くだ!」にしてほしい(笑)

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