無責任賛歌
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2005年09月03日(土) |
復活のまつもと泉/DVD『クモ男の復讐』 |
映画『ノロイ』があまりにも面白かったので(冗談が嫌いな方にはお勧めしませんが)、関連サイトをあっちこっち回ってみる。 映画本編は登場人物もみんな「実在」ということになっているので、字幕に出てくるスタッフ名もカメラマンの「宮島なんたら」と構成監督の「小林雅文」だけである。松本まりかや高樹マリア、アンガールズ、飯島愛、荒俣宏、ダンカンといった実在人物のあいまに堂々と架空の「矢野加奈(超能力少女)」とか「堀光男(霊能力者)」という名前を紛れ込ませているから、スタッフもなかなか性質(たち)が悪い(笑)。 もちろん、野暮なやからはいくらでもいて、「この人は○○○○という名前の役者さんだよ」と「真実」をバラしてしまっているのだが、言われてみゃ、あの映画に出てたあの人だったなあと納得はするのだが、あえて詮索するほどのことはあるまい。 洋画の場合、役者やスタッフの名前は権利上、明記されなければならなくなっているから、「ノロイ」のような「イタズラ」はしにくい状況にあるが(この二十年ほどでラストのタイトルロールがやたら長くなっているのはそのためである)、日本はそのあたりのことがまだ曖昧なままなのだろう、まだもうしばらくは「小林雅文」は「小林雅文」のままでいられそうである。それでもいつかは削除されなければなるまいから、「小林雅文公式ホームページ」などのサイトを見ておくのは今しかチャンスはない。 小林雅文の日記などは2002年から2004年まで、三年分がアップされているのだが、一日一日の日記の分量はそれほど多くはなく、飛び飛びの更新なので読み通すのにそんなに困難はない。単に日々の出来事を書いているだけではなくて、「怪奇実話作家」としての小林雅文のスタンスなどもコラム的に書かれてある。 「『分からない』イコール『あると信じる』ではない。『分からない』から『あるかどうか知りたい』のだ」なんて記述もあるが、「小林雅文」を客観的かつ冷静な人物として仕立てようという判断が見て取れる。事件の取材者が霊能とか呪いなんてものを盲信するようなキャラクターであったら、物語が薄っぺらになってしまう。全編アンガールズにレポーターはさせられないってことだね(笑)。霊能の全くない一般人として設定したのも成功の要因だったなと思える。 テレビの『超能力捜査官』特番に対する批判などもなかなかのものだ。「行方不明の人物の消息を複数の超能力者が透視して、『すでに死んでいる』『まだ生きている』などと公の場で発言してしまうことだ。(中略)生死に関する透視結果を公の場で、とくにご家族に対しては知らせるべきではないだろう」なんて「常識的な判断」をしているあたり、「小林雅文」が上っ面のキャラではなくてまさしくその「人柄」までもが設定されていることに舌を巻く。これは即ち演劇における「裏の履歴書」というやつだ。「小林」の役者さん、こんなのまで読まされて役作りさせられたんだろうなあ。 川口浩が生涯「あの探検はヤラセだった」と口にしなかったように(インタビューで突っ込まれても「私は信念を持って探検しています」と言い張っていた)、小林雅文もまた、映画公開がすむまではその正体を一応は隠し続けるのだろう。役者さんやスタッフが納得してくれるのなら、このまま隠し続けてもいいと思うが。昨日の私の日記にも書いた通り、こういうオアソビは分かってるやつには分かっているのだから、わざわざスタッフの方からネタバラシされるのは野暮というものなのである。 日記の中で面白かったのは、現実の事件とリンクしている記述で、映画中でも紹介されていた、「新宿ロフトプラスワン」での「怪奇実話ナイト」、2003年の11月26日に行われたという設定になっていて、なんと日記にはロフトプラスワンのホームページにリンクまでされているのだが、実際にそこに行ってみると、当日行われていた本当のイベントは、『さかもと聖保presentsダイエットライブ!!』である(笑)。まあ、痩せる思いをする(するだけで実際には痩せない)っていう点で共通点はあるのかな。 全く、なかなか実力のあるライターさんが作られているのだなあと感心することだ。もしかしたら白石監督自らの手になるものかもしれない。確かに、新聞も週刊誌も読まずテレビも見ず、世間の一般的なニュースに関心がなくて、ネットだけで情報を仕入れているような人間なら、このホームページとかをざっと見て、「小林さんって、今行方不明になってるんだ! 心配だなあ」なんて騙されてしまうこともありえるかも。いや、かもじゃなくて、現実にやたらいるのがなんて言ったらいいのかなんだけれど。
かつて『少年ジャンプ』に『きまぐれオレンジ★ロード』を連載していたまつもと泉さん、そのあとも何度か小さな連載はあったものの、プッツリと音沙汰がなくなってしまっていて、すっかり「消えたマンガ家」になってしまっていた。 実はまつもとさんは「脳脊髄液減少症」という難病に罹っていて、六年間の闘病生活を続けられていたのである。この病気は、「脳と脊髄の周囲を循環している脳脊髄液が漏れて脳の位置が下がり、頭痛やめまいなどの症状が出る」病気で、治療法は「患者本人の血液を注射し、血液凝固で髄液が漏れた場所をふさぐ」という、聞いただけでイタくなるようなことをしなければならないとのことだ。 まつもとさんは今もまだ治療中だが、体調は半分程度、回復したとのこと。これを受けて、新連載マンガも来年スタートを目指し、さらには自身の闘病生活もマンガにして出版する準備を進めているそうだ。あまり世間に知られていない病気であるために(まつもとさん自身も、自分の病気が何なのか分からずに40回以上も転院している)、原因が分からないままに長年苦しんでいる患者が世界中に大勢いるはずだという。まつもとさんは、「失意のまま死んでいった人もいるだろう。漫画の力でこの病気のことを伝えたい」と製作意図を語っている。 マンガ家が連載を休載したとき、「作者病気のため」と断りが出るものの殆どが「ただの原稿落とし」で、本当に病気だったわけではない、というのは常識のようになっている。しかし、現実に本当に病気で描けなくなってしまっている人も多いと思う。何と言ってもマンガ家は過酷な職業だ。体力気力、ともになければやっていけるものではない。しかし、若いうちならばともかく、年を取ってくれば当然、それまでのムリが体に影響を与えていくようになる。まつもとさんの場合も、医者の話によれば「強い力で指圧を受けたことや、不眠不休による過労が続いたことで一気に悪化したのでは」ということだ。 いったん、戦列を離脱したマンガ家に対する出版社の扱いは冷たいことが多い。まつもとさんがこうして復活の目途が立ったというのは、これまで描かれてきたマンガに本当に魅力があったこと、そして、流行に流されずに復活を待ち望んでいたファンがいたからこそだと思う。 『きまぐれオレンジ★ロード』をお読みになった方ならばお分かりだろうが、第一巻と最終巻とでは絵柄が全く別人のものと言っていいほどに違う。連載中に作画技術が向上することによって絵柄が変化することはよくあることだが、ここまでの上達ぶりはちょっと普通ではない。まつもとさんがどれだけ「努力家」であったかが、絵柄から伺える。正直な話、『オレンジ★ロード』は、当初の超能力ドタバタものが次第にラブコメから深刻な三角関係ドラマに移行していったのが読んでいて辛かったのであるが(当時は私もまだまだ青春野郎だったしなあ)、それだけまつもとさん自身が人間としての心の深みを増していったのだと言える。 病気を克服したまつもとさんがどんなマンガを描かれるのか、楽しみにしたい。
夜、テレビで『積木くずし 真相』の後編。 昨日の前編は見損ねたけど、後編だけ見ても筋は充分に分かるんで問題なし。 うちの日記、昨日から「積木くずし」とか「穂積由香里」とかのキーワードで検索してくるお客さんがかなりいたんだけど、たいして情報があるわけじゃないのにマメな人もいるものである。 安達祐美は予想通り十代でも充分通じたが三十代は全然ムリであった。親子であることを強調するために館ひろしを必要以上に老けさせているように見えたが、ちょっとした表情が穂積隆信さんに似て見えて、ああ、この役者さん、こんなにいい味を出せる人だったんだなあと、『あぶ刑事』の印象しかなかった私は自分の見る目の無さを恥じた。 ただドラマはもう脚本も演出も凡百のテレビ同様、過剰に過ぎていて、朋美(由香里さんは劇中ではそういう名前になっている)の死ぬ間際に「神様、もう少し時間を……」なんて陳腐なセリフを言わせるのはどうかと思う。朋美が残した手紙を読んで、信悟が海の中に駆けて行って泣き崩れるというのはもうお笑いでしかない。手紙濡れるぞ、波で(ってもう濡れてた。娘を最後まで大事にしない親である)。 実話の映像化は本当に難しいけどね、ここまでわざとらしく演出しなきゃ視聴者には登場人物たちの悲しみが分からないと製作者たちが思ってるのであれば、かなり客を舐めた話である。もっとも、舐められても仕方がないくらい鈍感な客が増えたってこともあるんだろうけれども。
DVD『クモ男の復讐』。 『クリーチャーズ・フィーチャーズ』(怪物映画)シリーズの一本として、以前ボックス発売されていたものがバラで販売されることになったので、しげが大ファンなダン・エイクロイドが出演している一本を購入。 原タイトルが「Earth vs. the Spider」(地球対蜘蛛)といやに大げさだけれども、これはこの映画が1958年の同タイトルの映画『吸血原子蜘蛛』のリメイクだから。更に言えば、その二年前の1956年に公開されたUFO映画『世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す』の原タイトルが「Earth vs. The Flying Saucers」なので、この映画のヒットに便乗するかのように「タイトルだけはスケールを大きくした」ことが見え見えの、なんともオサムイ映画である。……と思ったら、これ、映画じゃなくてテレフィーチャーなんだね。『クリーチャーズ・フィーチャーズ』の他の作品のタイトルがまた、『人食い人魚伝説』『怪奇異星物体』『獣人繁殖』『魔界覇王』とB級テイスト溢れるものばかりで、まあ最初からマトモな映画を期待しちゃいけないのである。 2001年製作、という時期を考えれば、サム・ライミ版『スパイダーマン』の便乗企画であることは明白であるのだが、『ターミネーター』や『ジュラシック・パーク』の特撮を担当したスタン・ウィンストンが製作にも絡んでいるから、往年のB級特撮映画を自分の手でリニューアルしてみたかったということもあるんだろう。何しろオリジナル版の「巨大蜘蛛」は、実際の蜘蛛を拡大撮影したものを合成しただけである。今回は、特殊メイク、アニマトロニクスを駆使して、実に気色の悪い「蜘蛛男」を造形してみせている。背中からバリッと服を破って生えてくる三本ずつ対の足(あれ? 元の手足と合わせると10本足になっちゃうぞ?)が生えてくるところなんか、うねうねとなかなかの迫力で、蜘蛛嫌いのよしひとさんが見たら卒倒するだろうと思われるほどのリアルさだ。 臆病者でアメコミオタクの警備員クェンティン(デヴォン・ガマーソール)が、スーパーヒーローになろうとして、自分が警備していた研究所で開発していたスーパー蜘蛛のエキスを自らの腕に注入したところ、ただの人喰い蜘蛛に変身してしまい退治されてしまうという、なんかもう、本家『スパイダーマン』をからかったような内容だけれども、「ホラー映画」「クリーチャー映画」の系列としては、この結末は正しい。 けれども、いくら自分の臆病さに我慢がならなくなったからと言って(そのために同僚を強盗に殺されてしまっている)、クェンティンがいきなり蜘蛛のエキスを腕に注入するってのもムチャな話だし(つか、殺人現場に監視も置かねえで警察は何やってるんだか)、自分が蜘蛛に変わっていくのに病院にも行かずに部屋に閉じこもりっきりってのも理解しがたい。もちろん、ドラマとしては蜘蛛に変わってくれなきゃ困るわけで、治療なんてさせられないわけだが、もう少し何とかならないもんだつたかなあというのがB級のB級たるゆえんであろうか。 それよりも、事件を負う刑事グリロ(ダン・エイクロイド)とその妻(テレサ・ラッセル)、その浮気相手の警官(クリストファー・カズンズ)との三角関係が描かれるのが、本筋とは何の関係もなく、ドラマの邪魔にしかなっていなくて、これが一応、この映画のタイトルロール上の「主役」である「ダン・エイクロイドの出番を作る」ためだけに作られた設定だというのがバレバレで、もちっと脚本を考えろよ、と言いたくなる。臆病者のクモ男を、妻に裏切られた臆病者の刑事が追う、という図式にしたかったんだろうけれども、たいして効果がないんだよねえ。 しみじみと思うことは、『マリリンとアインシュタイン』でむちゃくちゃ美しかったテレサ・ラッセルが、もうこんなに老けてしまったという悲しい事実である(っつっても、もう二十年経っちゃって50の坂に届こうかって歳になってるんだが)。酔っ払ってばかりの演技で、こんな役でわざわざテレサ・ラッセルを使わなくてもいいだろうと、悪態の一つもついてやりたくなる。フィルモグラフィーを見てもろくな映画に出てないし、役柄に恵まれないと女優さんは老けるのも早いのかねえ。
2004年09月03日(金) 悲しい知らせ 2003年09月03日(水) 不明を恥じるハナシ/『ビートのディシプリン』SIDE2(上遠野浩平) 2001年09月03日(月) 変わるわよ♪ ……何がだよ/アニメ『こみっくパーティー』第1話ほか 2000年09月03日(日) 警察も役所/『ら抜きの殺意』(永井愛)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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