無責任賛歌
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2005年10月14日(金) |
さよならカトウ君/NHKドラマ『慶次郎縁側日記2』第2回「正直者」 |
さて、その後のカトウ君であるが、しげが「ブログ消してるけど、どうするの?」とメールを送ったにもかかわらず返事がない。こちらから連絡を入れても反応がないので、しようがなく、しげは其ノ他君経由で連絡を取ってもらうようにしたそうなのだが、やっぱり音沙汰はないようである。 だもんで、劇団ホームページからもカトウ君のページは削除されてしまったし、よしひとさんもリンクを外してしまった。私ももうここまで来たらしょうがないかなと思ってリンクを削除した。これ以上、こちらがカトウ君のことを気にしているようなそぶりを見せると、彼はまたぞろ我田引水的妄想フィールドを展開して、「そんなに俺が必要か」なんてつけあがりかねないので、このへんでアプローチをするのもやめた方がよかろうと判断したのである。自分で決断できないやつを気にかけてやったところで、こちらの体力と気力が無駄に消費されるだけだ。 劇団を辞めるなら辞めるで、もともとうちは「出入り自由」なのでそう言えばよいだけのことだ。こちらも別に引きとめるつもりはないのだが、多分「引き止められない」ことが本人にも分かっていて、そのことを自覚するのが辛いので、「なし崩し的にいなくなってしまおう」という姑息な手段に出たのだろう。「自分の意志で切る」ことができないので「切られた」とこちらに責任転嫁したいのである。マンガキャラみたいにヒレツだが、まあ、人生の参考にしてるのがマンガとアニメと特撮しかないやつだからしょうがないのかもしれない。 何だかここまで情けないと、怒るよりも先に哀れになってくる。誰かに似てるよなあ、カトウ君って、と思ったら、『ちびまる子ちゃん』の「藤木君」にそっくりなんだと気がついた。自分の卑怯さに落ち込んですぐに永沢君に愚痴るのだが、それも無意識に同情を買うためのポーズだったりする。そういうところを永沢君に見透かされているのだが、周囲に「僕のことを構ってよ」オーラを発しているところまでそっくりである。 まあ、藤木君タイプの人間には永沢君タイプの人間がトモダチとしてはちょうどよかろうから、そういうトモダチを探していただければよかろうかと思う。ただ、男ならばともかくも、世の中に永沢君タイプの女の子がいるかどうかは定かではないが。
昨日、寝が足りなかったせいで、終日、軽い頭痛。 朝方も少し寝過ごした。目は覚めていたけれども、体が動かせなかったのである。どうにか遅刻せずに出勤しはしたものの、今ひとつ調子が乗らない。 少しばかり頑張って一仕事片付けて、早引けする。迎えに来てくれるようにしげに連絡をつけたが、「早く帰れるの? わーい♪」なんて言って喜んでやがる。 早く帰れるんじゃなくて、疲れて早く帰るの。そんでもってそりゃお前の夜泣きのせいなんだって。情緒不安定なヤツとくらしてるとこれだからなあ。
NHKドラマ『慶次郎縁側日記2』第2回「正直者」。 話はいきなり前回の一年後。皐月(安達祐実)はもう立派な森口家のご新造さんである(関係ないが、「新造」くらいちゃんと漢字変換してくれよ。「しんぞう」じゃないんだよ「しんぞ」だよ)。ところが夫の晃之助(比留間由哲)は、付け届けの類を一切受け取らず、正直、森口家の賄い方はかなり苦しい。皐月は慶次郎(高橋英樹)に何か仔細があるのではないかと相談する。 当の晃之助は、賭場の使いっ走りでかっぱらいを繰り返す若者の直太(浅利陽介)を、まっとうな道に戻そうと説得していた。以前の直太はアサリの剥き身売りで、釣り銭を誤魔化さない正直者と評判だったのだ。なぜ直太は悪の道に転落したのか、そのきっかけは実は慶次郎にあった。 今回も前回に引き続き、「仏の慶次郎」の「仏心」がかえって仇なす物語。と言っても、そもそも「馬鹿正直」な直太が、勝手に慶次郎のことを頼みに思って裏切られたと思い込んだだけの話だから、慶次郎に責任なんてありゃしないのだが、慶次郎だって「正直者」だからそこで悩んでしまう。全く、正直者だらけの世の中というものは始末に悪い。実際、だいたいにおいて「誰かのため」に何かをすることは殆ど裏目に出るものだ。それが分かっているのにあえて「正直者」であろうとするのは、失敗しても「正直だったんだからいいじゃない」って言い訳ができるから、その中に逃げ込んでいるだけではなかろうか。 慶次郎は自分もまた「正直者」であることで悦に入っている。だからいつでも「偉そう」である。けれどもそんなものが「仮面」に過ぎないことは簡単に暴かれる。人を傷つけておいて、そのことに鈍感なのが正直者の正体なのだ。慶次郎は自分自身の「偽善」に悩むのだが、こういうときに「救いの手」が差し伸べられるのもまた「現実」というヤツで、全く、世の中は一筋縄ではいかない。 飯炊きの佐七(石橋蓮司)が「正直でいいじゃないですか。言葉にしたってことは、その時はそんな気持ちがあったってことなんだから」みたいなことを言うのがまさにその「救いの手」で、これでまた慶次郎は心が癒されて、またまた元の「正直者」に逆戻り、「正直の頭に神宿る」なんて言い出してしまう。もちろん、佐七は正直者でもなんでもなくて、本人の言どおり、「その時にはそんな気持ちで言った」に過ぎないので、そのあと、正直者の魚屋に駄賃をやった慶次郎に向かっては「賄いも苦しいのに」とたしなめることになるのである(笑)。 正直者も悪党も、人間である限りはやはりどっちも厄介な存在でしかない。どちらが信用できるかとか言い出せばどっちも信用できないとしか言いようがない。いい加減で無責任かもしれないが、結果がどう転ぶかは誰にも分からないものだ。正直に行動するかあえて悪党になるか、その場限りの勘で動くしかないのだから、どっちが正しいのかなんて問われても答えようがない。 このドラマの気持ち良さは、そんな善人・悪人も等価で「人間」として扱っている点だ。「深刻」という評判もあるようだが、深刻なのが現実ならばそれが「普通」ということである。それでもまあ人は生きていくのだ。前回、慶次郎に迫られグダグダになってしまった常蔵(若松武史)は、巡礼のたびに出た後もグダグダであった。何だかまた中島らもの歌を思い出してしまったが、どんなやつだって人間なんだから「いいんだぜ」なのである。
2002年10月14日(月) 若本規夫賛江/映画『サイン』/『エドワード・ゴーリーの世界』(濱中利信編・柴田元幸・江國香織) 2001年10月14日(日) 新番紹介、大トリ!/アニメ『サイボーグ009』第1話「誕生」 2000年10月14日(土) 「野草」刈りと漂泊者と生ベルばらと/『あこがれの遠い土地』(トーベ・ヤンソン)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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