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2005年06月09日(木) 夢喰い 【イレギュラー】 第十九話

【第十九話】


 重い。
 急に、狭い箱に押し込まれたような窮屈さを感じた。
 目蓋の裏に、光がしみてくる。
 先程まで感じていたあたたかい光ではなくて、人工の、痛みを伴うまぶしさだった。
 先程までの、光?
 それって、なんだろう。
 とてつもなく、眩しく美しい世界にいたような気がしたけれど。
 もう思い出せなかった。
 体のうえに煌々とかがやく光が、徐々に徐々に、目蓋の裏に浸透してくる。
 縫い付けられたかのようにしっかりと閉じたそれを、ゆっくりと、開いた。
「いっ―――てぇ」
 うすく開いたとたんに、蛍光灯の光は我れ先にと瞳に飛び込んできた。
 瞳孔が、急激な光の増量に勢いよく収縮して、痛い。
 もう一度きつく、目を閉じた。
「神田くん?」
 すぐそばで声が聞こえた。
 そろそろともう一度双眸をひらく。
 ぼんやりとぼやけた視界に、人影が映った。
「だいじょうぶ?」
 大きな瞳が、悲壮なほどの不安をたたえて覗き込んでいるのがみえた。
 あれ、俺、どうしたんだっけ。
 次第に眩しさに慣れた視界が映し出すのは、紛れもない自室だった。
 そしてベッドの傍らには、心配を体中であらわしている転校生がいる。
「……英?」
 思わず名前を呼んだ。
 どうしてここにいるんだ?
 体を起こそうとしたのだけれど、うまく出来なかった。
 骨がすべて抜かれてしまったかのように、体の自由が効かない。
「よかった」
 全身の緊張を解くかのように、大きな吐息をひとつ、要はこぼした。
 転校生の向こう側に、見たことのない男がひとり立っていた。
 濡れ羽色、というのだったか。艶のある黒髪の、二十歳ほどの男だった。
 初めて見るはずなのに、何故かなつかしいと、感じた。
 既視感? それとも少し違うような気がする。
「無理して体を起こさないほうがいい」
 おだやかな声が、制した。
「一週間も寝ていたら、すぐには動けないだろうから」
「一週、間?」
 声はがらがらと掠れてひどいものだった。
 一週間眠っていたといわれたら、それも仕方のないことかもしれない。
「よかったね、おかえり」
 黒髪のひとが、そう言った。
 妙に安堵した。
 がっしゃん、と陶器が割れるような音が聞こえた。
 音の方へ首を傾けると、部屋の入り口に、母親が突っ立っていた。
 ばけものでも見たかのように目を見開いて、棒のように立ち尽くしている。
 足元には、落下した盆と、割れたグラスと、麦茶の海があった。
 瞳をうるませて、広がる海をまたぎこえて、室内につかつかと入ってきた彼女が。
「ばかものっ」
 怒鳴って、勝利の脳天を拳骨で殴りつけた。
「いってぇ、何するんだよ!」
「何するんだよ、じゃないよ! いきなりぶっ倒れたと思ったらなんだい、一週間もウンともスンとも……」
 みるみるうちに、怒鳴り散らす彼女の目に涙が浮かんだ。
 声がつまった様子で、それ以上は何も言わない代わりに、もう一度勝利の頭をはたいた。
「これっきりになるんじゃないかと……」
 蚊の鳴くような声で、呟いて、母は息子から顔を背けた。
 目元が光っていた。
「ごめん……」
 母親の泣いている顔など、見たことがない。
 咄嗟に、勝利は謝った。
「本当に、もう。寿命が縮んだよ、どうしてくれるんだい」
 目頭を押さえる様子に、勝利は戸惑った。うろたえた。
「だから、ごめんってば」

 親子のやりとりをまぶしそうに見守っている要の肩を、一馬は叩いた。
 口元だけで、出よう、と伝える。
 同居人の顔と、親子の姿を見比べてから、要はこっくりうなずいた。
 音を立てないようにこっそりと、扉の前に広がる水溜りを避けて、ふたりは神田家をあとにした。


            *


「……ありがとう」
 しばらく無言で歩いているうち、要が主語もなく言った。
「たすけてくれて」
 うん、と一馬は頷くだけで返事を返した。
「ごめんね」
 シュンとして、要が続けた。
 立ち止まる要に、一馬は振り返る。
「カズマが、その力使うの好きじゃないって、知ってたけど。僕、どうしても……」
「もう終わっただろ」
 かわいそうなぐらい落ち込んでいる要に、笑いかける。
「終わったことは、もうどうしようもないから、いいんだよ」
 うかがうように、要が上目遣いで同居人を見上げる。
「いいんだ」
 押し切るようにくりかえせば、要がこっくりと頷いた。
「あとは、お前がどうにかしないと」
「え?」
「夢は俺が食べてしまったから、神田くんは何も覚えていないんだ。お前がちゃんと、説明してあげないと」
「あ」
 たった今思い出した、というような顔をした。
「そっか、そうだね」
 自分を納得させるように、何度か頷いて、毅然と顔を上げた。
「ちゃんと話すよ」
 力強い目をしていた。
 夢の中で、神田勝利が見せた眼差しにも似ていた。
 意志の強い眼差し。
「帰るか」
 促せば、要はかすかに笑って、しっかり頷いた。


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【続く】


如月冴子 |MAIL

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