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2005年06月10日(金) |
夢喰い 【イレギュラー】 第二十話 |
【第二十話】
「夢喰いって、いうんだ」 勝利が学校に戻ったその日の放課後、要は中庭にいた。 円藤と話をした、あのベンチに座っている。 部活動の喧騒が遠くから聞こえてくる。 勝利は何も言わずに、隣に座っていた。 「信じられないかもしれないけど、夢に潜ることが出来るんだ。潜ってる間の夢を食べるっていうから、神田くんは何も覚えてないと思うけど」 「確かに、覚えてない、かも。眩しかったことしか」 ぎこちない沈黙が、その場に満ちた。 「でも俺、お前に助けてもらったんだろ?」 「僕は……なにもしてないよ」 また黙り込んでしまう。 要は、深く深呼吸をした。 「あのさ」 腹をくくって、切り出した。 「僕、本当に普通とちょっと違うんだ。あの雑誌に書かれてたこと、ほとんど全部、本当のことなんだよ」 信じられないかもしれないけど、とつけくわえた。 普通なら、信じられないだろう。 なにいってんの、と返されることが一番おそろしかった。 つづく沈黙に、押しつぶされそうになる。 「僕、神田くんに謝りたかったんだ」 勝利が、自分のほうに顔を向けたのがわかる。 そちらを見つめ返すことは出来なかった。 「急に、無視したりして、ごめん。どうしたらいいか分からなかったんだ。神田くんが話し掛けてくれるのも嬉しかったし、楽しかったよ。だけど、―――噂を聞いて」 「高幡の」 「……うん」 「俺も」 背もたれに重みを預けて、勝利が顎を反らした。 ベンチを包み込むような大木の、めいっぱいに広げられた枝葉の緑に、目を細める。 「英にひどいことしただろ。噂って、多分ほんとだからさ。俺きっと、お前のこと身代わりにしようとしてた。楽になりたくって」 風に葉擦れ。すきまからちらちらと、光が零れていていた。 「高幡が、自殺したの、俺ショックだったんだ。全部が全部自分のせいだなんて思わないけど、背中押したの、俺なんじゃないかと思って。だからなかったことにしたかった。お前のこと利用しようとしてた」 今度は要が、隣の勝利をうかがった。 さわさわ揺れる枝を見上げて、ぼんやりと遠くを見ている。 「俺、お前のこと分かんなかった」 仰向けた首を急に元に戻すから、とうとう目線が合ってしまった。 「なんていうか、浮世ばなれしてるっていうか。顔もそうだけど、色々知ってるみたいであたりまえのこと知らなかったり、まわりの奴らとなんか違ってて、戸惑ってた。クラスの奴らだってきっとそうだ」 要の持つ雰囲気に、なじめずにいたのだ。 どこか、他人と違う。 だからあの突拍子もない雑誌の記事だって信じ込んでしまったんだ。 「それにお前、諦めがよすぎて、俺はそれが気に食わなかった」 明らかに態度を翻したクラスメートにあっけないほど簡単に要は諦めた。 それでいいのか。 不当な責め苦だと思わないのか? 納得がいかなかった。 「本当の、ことだから。反論できないよ」 恐れられたって、仕方がないと思っていた。 「今は、関係ないじゃん」 力づよく、勝利は言い張った。 「今のお前を分かってもらったら、いいんじゃないの」 要が驚いた顔をするので、勝利は思わず黙り込んだ。 「……悪い、俺の、悪い癖だ」 高幡のときから変わっていない、我を通す癖だった。 「ううん」 要は、首を横に振って答える。 「そうだよね。そうだと思う」 噛み砕くように、要が頷いた。 「僕は神田くんの、そういう真っ直ぐなところがとても好きだ。助けられてると思うよ」 ぱちくりと、勝利が目をしばたいた。 何を言われたものか、一瞬分からなかった。 「ばっ……!」 言葉が意味を結んだ瞬間に、とてつもなく恥ずかしくなって、勝利は顔をそらした。 「お前! 変なこと言うなよ」 耳のあたりが熱かった。クラスメイトの、しかも男子相手に何を赤面しているんだろう。 要は別に、恥ずかしいことを言ったという自覚はないらしい。 勝利の反応にきょとんとしている。 こういうところが、浮世離れしているというのだ。
「あ! いた!」 居心地の悪い空気を、外からの攻撃が破った。 「勝利おまえ、いつまで部活休んでるつもりだよ! 鈍った体、鍛えなおしてやるから早くこいよ!」 校舎の二階部分の窓から、小柄な人影が顔を出していた。 円藤慶太だった。 「おー。今行く」 「早く来いよ!」 のんびりと答える勝利に釘をさし、円藤はひらりと要に手を振った。 要の反応を待たずに、円藤は窓際から去っていってしまった。 「さて、と」 大きく伸びをして、勝利がベンチから立ち上がった。 「何がどうなってんのとか、俺、よくわかんないし。レイカンとか全然ないから、いまいち英の説明とか、身にしみてわかんないや」 うん。ちいさく、要はうなずく。 正直な反応だと思った。勝利は、常に誠実だ。 嘘がない。 「でも、こうやってさ、また起きて普通に生活できて、うれしいよ。ありがとな」 笑って、勝利は校舎のほうへ歩き出した。 ベンチに座ったまま、要は背中を見送った。 何か、言ったほうがいいのかもしれない。 だけど何を? ためらううちに、背中が遠ざかる。 このまま別れたら、今までと何も変わらないんじゃないのかな。 一歩を踏み出せぬうちに、勝利の姿が校舎の中に消えた。 すとんと、体から力が抜けてしまった。ベンチと同化してしまったような気すらする。立ち上がれない。 根性なし、と自分を責めた。 どうしていつもいつも、肝心なところで手を伸ばすことが出来ないのか。 臆病な自分が、嫌になる。 撥ね退けられたらどうしよう、なんて。 そんなことを考えてたら何も出来ないじゃないか。 友達に、なんて。青臭くて恥ずかしくて、改めて口に出して頼むことじゃないけど。 だけど。
ばたばたと、廊下を慌しく走る音が迫ってきて、要は顔を上げる。 「言い忘れた!」 中庭と校舎とをつなぐ入り口に、先程まで隣に座っていた姿が現れた。 「英要!」 フルネームを、その場で叫ばれる。 思わず背筋が伸びた。 「お前っ」 怒鳴りつけるような声が、急に萎んだ。 ぼそぼそと口元が動いたように見えたけれど、声は要の元までは届かなかった。 意を決したかのように、勝利は毅然と顔をあげた。 「お前、俺と友達になれよ!」 中庭に、絶叫が響いた。 耳まで真っ赤になった勝利が、肩で息をしている。 まばたきも忘れて、要はクラスメイトを見つめていた。 急に視界がぼやけた。 「ってかさ、もうそうだよな!」 照れ隠しのように、勝利が大声で言った。 糸の切れた人形のように、要はぎこちなく頷いた。 はにかむように笑って、勝利はまた明日な、と叫んだ。 なにやってんだよ、早く来いよー。遠くから、焦れたような声が飛んできて、勝利はそちらに駆け出した。
中庭にひとり残された要はというと。 驚いて立ち上がれずにいた。 溢れるほどではなかったけれども、ずいぶんと目が潤んでいた。 どうしよう。 びっくりした。―――うれしかった。 気恥ずかしくもあるけれど。 思わず笑ってしまった。
友達なんて、と思っていた。 おもて側だけ仲良く出来ても、仕方ない。 身のうちに抱えた闇や、あっけらかんと人に話すことが出来ない過去が、ある日突然溢れ出したときに、どれほどの人間が残ってくれるだろうかと。 怯えていた。 びっくりして早くなった動悸を押さえるように、深く、呼吸をひとつ。 普通ではないということを、治っても痛み続ける傷のように抱えているけれど。 諦めなくっても、多分、いいんだ。 ほっと、胸を撫で下ろしている自分に、要は遅れて気がついた。
*
「ええと、まずはお友達から!」 「……それ以上になるつもりは僕にはないけれど」 「そんなつれないことは言わずに。友達の上は親友だったりするじゃんか」 「よく分からないな。僕は随分と君に、酷いことを言ったつもりだけど」 「過去は水にすべて流しました。あるのは今だけなのです」 その奇妙な取り合わせに、端から見ている要はハラハラしている。 下校途中だった。たまたま玄関で一緒になった要と都佳沙が並んで歩いているところに、後ろから勝利が突っ込んできたかたちだった。 辛辣な都佳沙の態度に、勝利はめげる素振りはない。 「友達の友達は友達、で。いいじゃないですか」 都佳沙は渋い顔をして、新人類でも見るかのような目で勝利を見た。 「一週間も眠っていて、どこかおかしくなったのかな。大丈夫?」 「おかしくなったかもね」 へらりと笑って、受け流す。 付き合っていられない、とばかりに都佳沙は大袈裟に溜息を落とした。 「都佳沙くんって呼んでもいい?」 尚も食い下がる子犬のような男に、都佳沙は早々に白旗を揚げた。 「好きにしたらいいよ」 「俺は全然、こないだのことは気にしてないですよ。都佳沙クン、要のことが心配だっただけだろうから」 「え?」 にやにやと、からかう口調の勝利。突然現れた自分の名前に、要がきょとんとふたりを見比べた。 きっと都佳沙が勝利を睨んだ。 「神田くん……」 「いやだな、勝利でいいってば」 都佳沙は、思いっきり脱力した。 「神田くん」 律儀にまだ苗字で呼びながら、都佳沙は疲れた顔で言った。 「僕は君にあまりやさしく出来ないかもしれないよ」 「へ?」 「……苦手な人に、君のそのノリが似てるんだ」 憎々しげに吐き出す言葉に、勝利はクエスチョンマークを頭に浮かべ、要は都佳沙の苦手とする叔父の姿を思い起こした。 ちいさく、要は吹き出した。 なるほど。言われてみればそうかもしれない。 くすくす笑う要に、都佳沙は不本意そうに視線を逸らし、勝利はクエスチョンマークを増やした。
*
「ってなことを、思い出したわけだ」 「それ、いつの話かな」 ファミレスの席に収まった勝利が、懐かしそうに言った。 その場から激しく浮いている違和感の塊が、冷静に突っ込みを入れる。 「ええと」 指折り数える素振りをしたあと、「三年前かな!」と勝利が言う。 全くファミレスが似合わない人間が、へぇ、とあまり感心したふうもなく相槌をうった。 「ほんっと、昔の都佳沙ちゃんったらつれなかったわよ」 「そうかな」 「”そうかな”!? ちょっと、聞いた!?」 勝利は隣に同意を求める。 「勝利、うるさい」 隣に収まった友人から反撃をくらって、勝利はテーブルに突っ伏した。 「要ちゃんは、時を経るごとにつめたくなっていくのであります」 べったり頬を押し付けて、勝利が嘆く。要が不快そうに顔をしかめた。 「要はそれが愛情表現だから」 「ああ!」 コーヒーを口元に運びながら、都佳沙があっさりとそんなことを言う。 がばりと勝利は体を起こした。得心がいった顔をしている。 「やっぱり? そうじゃないかって思ってたんだよね俺は!」 「なんだ、勝利は気づいてなかったんだ?」 「気づいてたよ! 気づいてましたとも!」 「愛情表現とか、変なこと言わないでよ」 どんなに鈍感な人間でも、からかって遊ばれているということはわかる。 不本意、という文字を背負って、憮然と要は立ち向かった。 「一馬さんぐらいに毒舌を言われるようになったら、一人前だね」 「アー……じゃあ、俺もっと親友として頑張らんといかんのか」 がんばろ、と勝利は訳のわからない気合を入れている。 「都佳沙……」 恨みがましく、要は向かいの席をにらむ。 「気をゆるしている証拠なんだから、いいんじゃないの?」 あくまで都佳沙は涼しげだった。 「そうそう。都佳沙っちの雅さんに対する姿勢も大概なんだから、おまえ、気にすることないよ」 それはフォローなのだろうか。横から口を突っ込む勝利に、要は首を傾げる。 なぐさめにはなっていない。 「僕が? なんだって? よく聞こえなかったな」 聞こえていないはずがない。 「いーえ、なんでも」 状況の悪化を察知して、勝利がとぼけた。
「さてとー、俺はちょっと出かけるところがあるのでぇー」 テーブルに両手をついて、勝利が立ち上がった。 「これから?」 もう夕暮れ時だ。 「ちょっとね、秘密の逢瀬をネ」 意味深につぶやいて、勝利は席を立った。 補習がえりの高校生は、健全に黄昏時で散会することになる。
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【続く】
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