書泉シランデの日記

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ボランティア雑感
2006年05月14日(日)

この間は一生懸命なボランティアさんに意地悪を書いてしまったなあ、と思いながら、今日も今日とて、ボランティア活動をNPOに育て上げた人たちの研修会を聞きにいった。メンバーでない人には2000円で講演を聞かせてれる。

ボランティアとはいえ、活動に係わり始めてから勉強のために大学院に通った、なんていう立派な人が何人もいるのに驚いた。そのことだけ見れば、一つ間違うと<暇な奥さん>、<結構なご身分で・・・>ぐらいは言われそうだが、そうやってまで自分の力を社会に還元しようとする姿勢はすごい。年のころ、40代から50代が多い。

有能な人たちが弱者のために力を出してくれることは素晴らしい。

素晴らしいが、この人たちをほぼ無償に近い仕事に従事させている現状は一概に賛美できない。こうなるまでに、彼女たちには本当はボランティア以外に継続したかったことがあっただろう。子育てや夫の転勤などで自分のキャリアを放棄した人たちがどこかで気持ちを切り替えて活動に打ち込んでいるに違いない。

「自主」しかないんだよね、組織を離れると。

「自主」を継続することがどれほど大変か、たぶん、彼女たちを<暇>と呼ぶ人にはわからないだろう。

大学院で修士をとっても、結局キャリアの道は年齢的に閉ざされていることが多いから、自己研鑽のためにしかならない。もとはひけないのである。時間があるからボランティアでも、という人とはそもそもスタンスや意識の高さが異なっている。

一方で、本来行政が責任を持って果たすべきことを、ボランティアに任せて知らん顔をしているのは全然いただけない。応分の資金を継続的に提供する仕組みが必要ではないのか。いずこも恒常的資金不足のようだ。

ボランティアの中には行政主導で、資金は豊かだけれど、現実は弱者の援助どころか、「生きがい」創出のほうが目立つグループもある。目先の援助に係わる楽しさに溺れ、その背景の社会的な問題には目をつむりたい人たちも多い。ボランティアだから・・・をサボりの口実にする人も多いと聞く。でも、そんなグループでも上に立つ人は本当に大変で、やんちゃな子どもを引き連れる幼稚園の先生みたいな度量が要求される。(先日言及したボランティアさんはこのタイプ)

高齢化社会だの、団塊の大量退職だの、とこれからますますボランティアに関心を持つ人が増えそうだ。ボランティアは活動においても姿勢においてもなかなか一括りでは捉えられない。勤め人が様々であるのと同じようにボランティアも様々だ。しかも、活動がお金で測りにくいから、横並びの比較は非常に難しい。

ボランティア、という名前で判断しないで、活動の実績で評価しないといけないのは当然としても、実質何のためのボランティアなのかは、あまり名目にとらわれなくてもいいかもしれない。生きがいなら生きがいで結構。国際交流ボランティア、実は世を忍ぶ老人娯楽ボランティアの仮の姿、ってなところでよしとしてあげなくっちゃなあ、と、あれこれ考えるうちに、受け止めるこっちの間口が広きゃいいやね、みたいな気持ちになってしまった。



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