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「で?」 ジェニー姉さんは右手に持ったわたしの、まだ途中までしか書いていない原稿(脚本)に視線を落としたまま、 左手の人差指と中指に挟んだ煙草の煙に眼を細めると、溜め息をつくように口を開いた。 「今度はファンタジーって訳?」 口と鼻穴からもわぁ〜と煙を吐き出すと、カウンターに置いてあるクリスタル製の重厚な灰皿に、苛立たしげとも 取れるような仕種で、それをぎゅうと押し付けた。 わたしは嫌煙家なので、流れてくるメンソールの臭いに息を詰めて耐える。 「相変わらず暗いわねー」 ジェニー姉さんは、わたしが馴染みにしているショットバーのママ(♂)だ。 “ママ”と呼ぶと怒るので、客はみんな“姉さん”と呼んでいる。 ママのくせに、なぜだかバーテンのような格好をしていて、これまた不可解でしょうがないのだが、髪型は角刈りが ちょっと伸びた感じのオールバックだ。そう・・・「ソイヤ!」な感じ? どうやらかなり毛深いらしく、四枚刃のシェーバーで念入りに剃っても、わずか数時間で青カビのように 生えてくるヒゲ――目下これが彼女の最大にして唯一の悩みだ。もっと悩んでも良さそうなことが他にもあると 思うのだが――を隠すためのファンデーションが厚く厚く塗り込められている。 けど、そこまでしても分かっちゃうもんだから、うっかり「青くなってるよ」なんて指摘しようものなら、 エライ勢いで先の灰皿が飛んでくる。 今までに何人の人間が、それで病院送りになったことか(たいしたことはなかったけどね)。 これは絶対に踏んではならぬ地雷なのだ。 「これ、あの男のことね? まったくアンタったら懲りないわね」 真っ赤な口紅を塗った分厚い唇がぷちゅっと突き出され、ヌラヌラと下品に輝いた。 はっきり言ってかなりキツイヴィジュアルなのだが、それでも男が切れたことがないってんだから世の中は不思議に満ちている。
わたしはTVドラマの脚本書きを生業としている。これでも結構ヒットしたドラマをいくつか持っているのだ。 『男は三たび嘘をつく』とか『女の膝頭』が代表作と言えば心当たりのある方もいらっしゃるだろう。 あ、あと『コドモの秘密』とかね。 大抵わたしの身の上に起こった身の下な出来事を脚色して(いないという声もあるが)書いているので、 そんなわたしを、みんなは「芸人脚本家」と呼ぶ。 体験を切り売りするような仕事の仕方を暗に嘲笑している訳だが失礼な話だ。 それはさておき、わたしが脚本(ホン)をジェニー姉さんにお目通し願うのは、なんだかんだ言って 彼女の審議眼を頼っているからだ。 彼女ナシにわたしの作品のヒットはあり得なかったと言っても過言ではない。 女性のタレントを売り出そうという時、プロダクション関係者は、その娘(コ)を連れ立って二丁目に やって来ると聞いたことがある。 殊のほか女性に厳しいオネーサンたちに、ギョーカイでがっつり稼げるタマかどうか見極めてもらうためらしい。 そこでお眼鏡に適えば、その娘の将来もプロダクションの安泰も約束されるという訳だ。 真偽のほどは知らないが、あながち嘘でもないかな、と思う。 ま、それと同じような理由で、わたしはジェニー姉さんの店に通っている。 もちろん脚本を読んでもらう時ばかりじゃない。 何かあれば、お世辞にもセンスがいいとは言えないこの席でクダを巻いてきた。 だから姉さんは、わたしのことなら何でもよく知っている・・・。
「ほら、ここ。“初体験”じゃなくて“未体験”でしょ。学習しないコね、まったく」 こういった適言かどうかはもちろん、最低でも誤字脱字をきっちりチェックしてくる。 とても信じられないのだが、某・有名国立大学を卒業したインテリなのだ。 まだ男だった(?)頃の学生証を見せてみらったことがある(かなり笑えた)ので間違いない。 有り難いは有り難いのだが、少々ウザくもある。 絶対に言えないけどね、そんなこと。 「それに女をたぶらかすようなイケメン男が今時“常男”なんて名前じゃ、視聴者が納得しないわよ?」 「ワザとよ、ワザと。ギャップが面白いと思ってね」 「・・・アンタ、まだ立ち直ってないんじゃないの?」 今回の脚本は、わたしが半年前こっぴどくフラれた体験がベースになっている。 相手は優男のフリして四股もかけてた悪党。 その股がけしてたうちの一人、いちばん若い娘が妊娠した――どこからともなく流れてきた後日談で、それは想像妊娠だったことが判明したらしく、彼女もまた捨てられたとか――おかげで、わたしは負け組にエントリーされたって次第。 このわたしが。 そこそこ売れっ子で、まぁまぁイケてるはずのセレブなわたしが。
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