検査結果ののち - 1987年03月13日(金) TD病院で検査結果を聞いた私は、ぼんやりと帰途についた。 OC駅までどうやって歩いたのだろう? OC駅で電車に乗り、TK駅で乗り換えるとき、家で検査結果を待っているはずの夫に電話した。 ラジウム針という療法が必要なこと、それはTD病院ではできないこと、明日GK病院に行くように言われたこと。 私のわかりにくい説明を、夫は黙って聞いていた。 それから私はキオスクで1冊のマンガ本を買った。それは当時大好きだった4コママンガの本だった。 電車の中でマンガ本を読む。内容は頭に入ってこなかった。 けれど、マンガでも読まなければいられないような気持ちだった。 地元の駅に着き、バスに乗る。 これからのことを考えると、自然に涙がにじんできた。 まだ24才なのに。 結婚して4ヶ月なのに。 先生ははっきりとは言わなかったけど“癌”なの? 他の乗客に気づかれぬよう、窓の外を眺めるフリをして私は涙を流し続けた。 家に帰ると、体調が悪かったはずの夫が玄関で待っていた。 無言で私を抱き寄せるとこういった。 「絶対に僕が治してあげる。」 あとから聞いたのだが、夫は私が電話連絡をしたあと、詳しい事情を聞きたくてTD病院に電話していたのだった。 夫は私が舌癌の中期であることを聞いたいたのだった。 もちろん、私がまだ告知を受けていないことも。 ...
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