舌癌とともに生きて...サクラ メイ

 

 

舌can - 1987年03月14日(土)

TD病院で検査結果を聞いた翌日、紹介状をもって。GK病院頭頚科を受診した。

夫はまだ体調が戻らず、夫の妹が付き添ってくれた。


頭頚科のK先生。

今、私がこうして生きているのはK先生のおかげだ。


K先生は、実に明確にこれからの治療方針を説明してくれた。

それなのに私は、この先生に自分の運命を任せるしかないのだなと、どこか他人事のように思っっていた。


5つの病院を渡り歩くうち、私はベルトコンベアーの上で、誰にも選ばれずに乾いていく、寿司ネタのような気持ちになっていたのだ。



診察の途中でK先生が少しの間、席をはずした。

なにげなく私は机の上に広げられたTD病院からの紹介状をのぞいてしまった。

『舌canの患者さんです。』

紹介状はそう書き出していた。


『舌can』

ああ、私の病名はそんな病名なんだ。


幸か不幸か、私は英語が苦手だった。

canが癌を意味するcancerのことだとわからなかったのである。


すぐに辞書で調べてもよさそうなものだったが、心のどこかで、自分の本当の病名を知るのを避けていた。







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