ひよ子の日記
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2004年05月20日(木) ナマケモノに哲学を

たったいま、あなたがこのページをめくってから、7分後、ひとつの生物種が絶滅。本を読み終え、どこか別の場所へと移動しているかもしれない1時間後、8種の生物がこの地球から姿を消してしまう。

Think the Earth『一秒の世界』より引用

人間 vs. ゴキブリがテーマになった映画『Joe's apartment』のように、叩いても潰しても毒ガス攻撃をしても、決して死に絶えることのないゴキブリもいるかと思えば、こうしている今もどんどん絶滅していく生き物がいるんだなぁと思うと、それが実感できないだけに、不思議な感じです。

熱帯雨林の破壊が主な原因となって、1日に200種の生物が絶滅しつつあるという。その説が正しいとすると、地球はいま、6500万年前の恐竜大絶滅以来、最も激しい種の大量絶滅に直面していることになる。

今のスピードでは1000年ほどですべての生物種が絶滅する、とも書いてあるんですけどそれはやっぱり人類もふくめてなのかなぁ。ただ例えば生命がすべて滅びたとしても、地球の寿命が尽きない限りは、またいつか小さな生物が誕生して、ものすごい時を掛けて進化して、地球の環境も人類が絶滅したことで徐々に回復し、そこで再び人類が誕生するのかな。そしたら、人類はまた文明を作り、戦争をして、今と同じ時代が訪れるのかもしれない。そして、いつかまた滅びていくのかな。

もしかしたら、そうやってこれまでの宇宙のどこかの星でも、地球でも、同じようなことを繰り返してきたのかも知れないなぁって考えたら、その果てしなく大きな輪の中にいるわたしが、生きてる理由がなんとなく分かった気もしました。(ただしなんとなく)


以前ナマケモノの生態をテレビ番組で観ました。もう大分前の番組で『神々の詩(うた)』でした。そのころ友達と交換日記を付けていて(懐かしい)わたしはテレビで観たことを日記に書きました。それをそのまま書き写しますね。


1999年7月11日 9:00p.m. 再び

今ね”神々の詩”を見終えたところなんだけどね。むっちゃブルーになってる。今回はナマケモノでした。なんと申しますかね、私のまわりの時まで止まってしまったかの様な。そんな空気が流れてます。

約30年を木の上で過ごし、1日3〜4枚の葉を食べる。長い3本の爪。争うことを嫌い、1週間に1度だけ地上におりる。うんちをするためにたった数分。

どんな時でもな、無表情で空をじっと見てる。1日20時間はまどろみの中で過ごして。何を思っているのか空を見てる。何のために生きてるとか、考えるのは愚問というもの。でもあたしはナマケモノを見ていたらそう思わずにはいられませんでした。”何のために生まれたんだろう”この地球に生まれたすべてのものは何のために生まれたのか、考えずにはいられなかった。生まれてくるものにその存在使命はないけれど(というより、生まれたからには命を全うすることが使命?)生物の本能的な部分での使命じゃなくて、どちらかというと哲学的な部分で疑問を持った。ナマケモノに哲学を感じた。



1999年なので、6年前だから20歳の頃です。大きな輪の中にいる自分が生きている理由がなんとなくわかったと同時に、このナマケモノ哲学の(自分で納得する)答えへも辿り着けた様な気がしました。

ナマケモノって人間が勝手につけた名前だから、何もしないから『ナマケモノ』だっていうわけじゃないんですよね。何もしないのはなまけものだというのは人間の定義だから、何もしないで『ただ生きる』ことがナマケモノの『生きる』なわけですよね。(言ってることが意味不明だったらごめんなさい。)

大きな輪の中でもがいているわたしも、6年前哲学を感じたナマケモノも同じなんだなぁと。人生に深い意味があるように感じるけれど、毎日『生きる』こと以外には意味はないのかもしれない。悩みがあったり、嬉しいことがあったり、色々ある人生も、毎日の生活の単なるスパイスで。

いつか死んで、みんなも死んで、ナマケモノも死んで、また小さな生物が生まれてくる。大きな大きな輪がぐるぐる回って生きていて、わたしもナマケモノもそのなかの一部なんだなぁ。例えると、、
人間の体って、脳みそや心臓や肺やいろいろな機能が働いてちゃんと動いている。『大きな輪』が人間で、『わたしやナマケモノが生きる』ことがいろいろな機能が働いてるってことかな?

宇宙はきっとぐるぐるまわってるんだ。ぐるぐるのなかにわたしがいる。


ひよ子

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