『百物語』第二十二夜(…?)…上田秋成『雨月物語』より、『青頭巾』と『吉備津の釜』&筒井康隆『時代小説』の三話。
『青頭巾』はある寺の住職が子供に死なれ、その悲しみのあまり鬼となり、人の血や肉を食らうようになったのを旅の高僧が諌め、仏の教えと真理を求めるように導く…そういうお話。 『吉備津の釜』の方は吉備津の釜の占いで凶と出たのに娘と長者の放蕩息子との縁談を進めてしまう。 夫はやがて愛人を作り、妻から金を騙し取って愛人と出奔。 妻は嘆き、二人を恨みながら死に、やがて二人に祟る。 そういうお話。
原文のまま朗読されていくので、所々わからない部分はあるものの、自分で原文の本を読むよりは物語がすっと浸透する。 『源氏物語』にせよ、『百物語』にせよ、白石さんの朗読は非常に明瞭で音が綺麗。 観劇のたびに日本語という言葉の持つ響きの美しさを確認させられる。 そして、日本語とは喋る為の言葉だと再認識させられる。 パンフレットにも『日本語の音の持つリズムを楽しむ』…とあったが、まったくそのとおりだと思う。 ただ、それを他の人が体現できるかどうかはまた別問題なのだけど…。
しかし、原文で朗読される『青頭巾』より『吉備津の釜』よりわからなかったのが、『時代小説』。 時代劇のパロディでロードムービーのような話だというのはわかるけれど、多くの登場人物が出て、めまぐるしく章が変り、何がなんだかわからないうちにまた次の章へ…。 …白石さんも朗読しながら仰ってました。 『筒井さんは天才だからよくわからない表現が出てくる』って。 だからそれを補足するためなのか、わかりづらいだろうと思われる言葉は舞台に用意された紙で実際にその字を見てお勉強しながら進んでいきます。 やはり、音じゃわからなくても、字ならわかる事柄というのはあるものなのです。 また、そういう部分は筒井さんならではの言葉遊びも交えられているので、尚更補足なしには辛いと思います。<観た人だけがわかるえっちな言葉も(笑) だから、『雨月物語』には『源氏物語』の時のように現代訳はないけど、『時代小説』には訳(=補足)がある(笑)。 そういう話の性質上もあるのか、1幕ではしっとりと座って朗読されていたのが、2幕では多少のチャンバラを交えながら動きながらの朗読。 小道具に竹光も登場していたのですが、途中で竹刀に変えさせられちゃったりもして忙しそうです。 でも、取り替えてもらわないとプロンプターが斬られちゃうからね(笑)。 …竹刀でも加減はされていたけれど、打たれてたのに。 まあ、そんな感じに話自体に勢いがあるので、その調子を生かすためにやや早口で進行していきます。 …ブレスの位置が大変そうでした。 面白いには違いないし、随所で笑えるのだけれど、私にしてみればどちらかというと天才よりも天災…あの方の文章は破綻のツボがわからない。 筒井さんはそういう点があまり好きではないので普段から読まない。 以前に何冊かは読んだが…その時も設定は面白いと思ったが中身は『?』。 そして、朗読になってさえも今回もその印象は変らない。 むしろ、鴨下さんと白石さんじゃなければここまでその面白さを引き出せなかったろうと思う。 だって、『やや』とか『よかった』という台詞だけで20通り近くものパターンを話分けるのは並大抵のことじゃない。 しかし、そういう面があるから…ネックだとは思ってもついつい観劇予定に入れてしまうのだけれど。 ただ、どうしても筒井さんはハッピーエンドにはならない。 いつも…というか、何作か読んだものは全てバッドエンド。 どうしてそう…時代劇のパロディであってもハッピーエンドを否定するのか、それが不思議でならない。 (時代劇なら勧善懲悪で大団円はお約束ですよねー)
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