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■ 新しい命
古い友人に、子供がうまれる。
彼女は、私のはじめての旅の相棒だ。 9年前、私達は数枚のシャツと、タオルと、少しの洗面用具と筆記用具だけをそれぞれの鞄につめて、1ヶ月間、スペインを旅した。
旅慣れない私達の格好は、今にしてみれば、とても奇妙なものだった。
赤とピンクの色違いのつなぎズボンの胸当ての裏に、それぞれに秘密のポケットを縫い付けて貴重品をしまいこみ、首にバンダナをつけて、頭にチロル帽子をかぶり、町や、村、紺碧の空の下を、毎日懸命にただ歩き、旅をした。
ピカソ美術館へいって、自分達の凡人さかげんに絶望し、スペイン語ペラペラで、誇り高い同い歳の日本人に出会って意気消沈し、ヤギに大切なスケッチブックの1ページをかじられては憤慨し、海の向こうはアフリカ大陸だという海岸で、世界がとけていくような夕日を眺めて言葉を失い、知らない土地でたくさんの新しい時を過ごした。
同じような格好をして、同じ日々を過ごしても、私達はいつだって個と個だった。
旅の中で、彼女の目を通して、彼女の中に取り込まれたもの。それを、私は全く知らない。彼女もまた、私の事を知らないだろう。
あの旅は、私の大切な思い出の一つだ。
日本へ帰国する前の晩、私達は宿泊していた小さな宿の奥さんのために、徹夜で絵付きのカードを合作した。宿の家族全員のポートレイトを絵の具と色鉛筆で描いた。カードの仕上がりに、私達はとても満足し、宿の奥さんもとても喜んでくれた。
あれから数年後、彼女は私より先に大学を卒業し、イラストレーターになって一人立ちした。彼女の描く絵は、とてもシンプルで、暖かい。そして絵本も出版した。
旅の後、私達は数えるほどにしか、あまり話をしていない。けれど、ある時、彼女から「スケッチブックに線をひくようになったのは、あの旅の最後の晩に、あのカードを描いたことがきっかけだったかもしれない。」と、短い手紙をもらった。
一つの体験が、ある人にとって小さな種のひと粒になり、その人の人生を開いていく。その貴重な瞬間に、共に居合わせる事が出来た事を、私はとても幸せに思う。 その友人に、新しい命がうまれようとしている。
この世界の全ての命は、奇跡の連続の末に、今ここにある。 数億分の1の確立をへて胎内に着床することも、それが無事に人の体の中で成長することも、やがて、はじめての空気を吸い込むことも、全てが、ほんの数万分の1秒歯車が狂ってしまうだけで、泡となって消えてしまう。
その数限り無いあやうさを全てクリアして、ここに、今、私達は生きている。
友人のお腹の中で、誕生の瞬間をじっと待っているその小さな命は、遥か海を超えて、私に大切な生命の約束を教えてくれた。
頑張れ、あと、少しだ! きっと会おう!
絵本の紹介:「よこしまくん」「よこしまくんとピンクちゃん」大森裕子作/偕成社 http://www.iri-seba.com/index.html
2004年02月20日(金)
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