2004年08月06日(金)
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あらいざらいぶちまけてしまおう
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そろそろ夜が明けてきた午前4時半。なんだって俺はこんな時間に郵便ポストに手紙を投函し、コンビニで水道料金の支払いをしているのか。もういいや、あらいざらいぶちまけてしまおう。社会人にもなって、俺はまだこんな日記を書くのかという後悔とともに。
大学時代の恩師と祖母へ手紙を出した。出そう出そうと思いながら、いつまでたっても後回しにしていた。恩師に宛てた手紙は、実は二ヶ月ほど前に書き上げていて、封筒に封までしていたのだけれど、「あぁ切手がねえや」ということでやる気なくなって放置していた。今日一度封を開けて、手紙に記した日付を確認すると「6月13日」。あぁ、ダメだ、使いもんにならねえよ。クシャクシャに丸めて捨てた。そしてまた新しく、二か月分の空白を埋めた。
祖母は月に2回のペースをきっちり守って手紙をくれる。そのたび返事を書かなきゃと思うのに、また明日、また明日、とうとう三ヶ月近く経った。えいや!と、先ほど思い立って、恩師への手紙とともに書ききった。それはもう、遠隔からのSOSとでも呼べばいいのか。近況をつらつらと書き記しただけのものが、「孫はいったい大丈夫なのか」と思い起こさせるような内容になっていたかもしれない。まぁ、もう投函しちまったから確認のしようもない。
世の中には二種類の人間がいる。宿題をギリギリまで溜めちまう奴と、余裕を持って終わらせる奴。俺は間違いなく、前者だ。五ヶ月前から財布に穴が開いている。一日に一回は小銭がすり抜けて落ちる。週末になるたび買いに行こうと思うのに、今もまだ穴が開いている。小銭が落ちる。
大丈夫なのかというと、大丈夫じゃないだろう。目に見えない部分で、どうしようもなくダメな生活を続けている。「今週中にやっておいてね」という課題が終わらず、溜まっていく。抱えてる原稿が多くなって身動きが取れなくなる。身動きが取れなくなって、とにかくやっつけ仕事になる。毎日が億劫になっていく。口が裂けても、「今日は昼過ぎまで寝てました」なんて言えない。溜まっている仕事があるのに、だからこそ億劫で仕方がなかったりする。
けっきょく。夕方になって先輩に五時間ほどつきっきりで指導してもらい、 当面の課題をやり過ごす。そんなんが全国の皆様の自宅に届くと思うと、なんかもうやり切れない。あとまだ何本も何本も、抱えている仕事があるのだけれど。だから明日も明後日も、職場に行ってなんとかケリをつけねばならないのだけど、なんで俺はこんな時間まで起きている?
別に好きで後回しにしているわけでもない。緊迫感や真剣さが足りないんだと言われたら、返す言葉もない、その通りだ。だけどもう、身の丈を超えた量の、質の仕事が次から次へと降ってくる中で、俺はどうやって生き抜いていけばいいのか、成長すればいいのか、正直途方に暮れている。気がつけば笑い話になっていることを少し期待しつつ、そんな楽観的でよいのか。
その日やれることがその日のうちにすませて初めて「明日は明日の風が吹く」と言える。だけど俺は、学生だったころから、すっきりと眠りに落ちたことは無い。「今日は十分頑張った」なんて思えた日はない。いつもどこかで「明日があるさ」と思っている。明日やればいいさ、と。そんな気質が、今になって、大きく生活に、仕事に響きだした。そろそろ誤魔化しがきかない、馬脚をあらわし始めている。寝るのが怖い。だから今、起きている。
高校時代にメロディ付きで作った歌詞がある。
情けないほどみじめに暮らしてさ 自分自身に怒りをためこめて なにもかんもがうまくいかなくてさ すべて投げやり明日の俺まかせ
三つ子の魂百までと言うけれど、あぁ、俺はなんも変わっちゃいない。これまでのやり方が立ち行かないのなら、変えればいいのだけれど、それをどうやるか。一番現実的なのは、とっとと今の環境に慣れること。ただ、時間任せにするだけでよいのか。いったい今、俺に何ができるのか。
上の歌詞には、こっぱずかしい続きがある。
燃えるココロはいつも 他人の手前 上辺だけ 違うとはっきり誰かに言えるなら 今 ここで 見せてみろよ
だってさ。どうすべきかなんて、とうの昔から分かってる。とにかくもがいてもがいてぶち当たっていけば、どうにかなるもんだ。ただ、もがくだけのエネルギーが無いと思われる場合、いったいどうすればいいのか。打開策の見出せない現実の前に、つぶれて、ひしゃげて、卑屈に生きればいいのか。
明け方の憂鬱な時間の中で、書くものも憂鬱になっている。実際は「なんとかなるもんだ」と思ってる。その気持ちと、「なんとかしなきゃ」という思いを、どれだけ都合よくバランスとっていけるか。結局は、そこに尽きる。
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