- 2008年07月05日(土) 突然ですが宮崎駿のアニメについてつぶやきます
『千ちひ』の時、それから確か『もののけ姫』の時も、(どっちが先だったか忘れてしまったんだけど)
「結末」について賛否両論だった。
わたしは、「あとはみなさんが考えてください」とある意味「丸投げ」されるのは、好きだ。
「あのあとどうなったんだろうなー」とか「現実にああいうことが起きていたら?」とか、あれこれ妄想するのは楽しい。
まあ、そんなのどんな物語にだってできること、と思われるかもしれないけれど、わたしは「これで完結!」とはっきり宣言されているようなお話については「その後」とか「別の話」とかを考えるのは、ほとんどできなくなってしまう。
感動的だったりショッキングであったりするような結末であればなおさら、その結末だけをひたすら何度も何度も反芻してしまう。
「千ちひ」で、お話の終わりにあの家族は「もとの世界に帰る」ことができたけれど、時間がどのくらいたったことになっていたのか、はっきり描いてはいない。
でも実は現実の世界でもかなり時間が経過している?みたいなことを、わかりにくくほのめかしているだけだ。
もしもそうだったら、あのラストシーンからまた新たに、けっこうエライコッチャな物語が始まってしまうことになる……わけだけれど、あえてそれは本編の中には入れていない。
「その気のある人は二次創作してもいいよ〜」って言われてるみたい?(そっち方面にはぜんぜん詳しくないけれど、もしかしたら本当にやってる人、いるかもしれないよね) それはそれで、ものすごく面白そう。
でも、わたしは、中途半端に描かれているおかげでいつも思い出しては「本当はどうだったんだろうな〜」と想像して、「うふふ」とヘンな薄笑いを浮かべることができる。
物語がそういうかたちで「見た者の中で生きる」っていうことも、あってもいいんじゃないかな……と、わたしは思う。
それは、(わたしはそこまで思わないけれど)『もののけ姫』にもいえるようで、
まあ、みんな
「あの二人は結ばれるの!?」
ということに一生懸命になってしまうようで。
わたしは、誰かと誰かがくっつくとか別れるとかいうことは、それほど必死になって追求したいとも思わないんだけど。
でも、アシタカとサンが「結ばれる」かどうかは、確かあいまいにしか描いていなかったような気がする(あー、覚えてないや。誰か教えて!っていうか見直してみよっと)。
わたしは、あえて「どっちかわからない結末」に、ものすごく満足している。
べったりくっつくんじゃなくて、お互いのあり方を保ちながらゆるやかに共存する。
人間って、それを許せないことがかなり多いような気がするので……(それは、「結局どうなったのよー!!??」ってムキになってしまう人の姿勢そのものが示しているようにも思うし、わたし自身にもそういうところはすごく多くあるし)
たとえばさー、人間が単純に「人口が増える」というだけで、他の霊長類はどんどん絶滅に追いやられるんだよね……
人間が人間としての生き方を貫く限り、他の霊長類と自然状態で共存することは不可能なので(人間があえてジャングルの中で貧しく不安定な暮らしをしようとするなら話は別だが)、いくら「絶滅から救おう!保護しよう」などと言っても、その運命は変えようがない。
宮崎アニメって、実は「人間多すぎ」っていうメッセージも抱えているような気がする。
みんなそこのところは見てるのかなー?
……あ、毒になってしまった。