'ゃッぱ・頭、変っすか。 'ゃッぱ・頭、変っすか。


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2008年10月19日(日) 日本の家庭小説(曽野綾子を読んでみました」

《木枯らしの庭》曽野綾子著
 独身の大学教授、公文剣一郎には、結婚を妨げる事情はないはずだが……。愛に破れる男の孤独な内面を描き、親と子の問題を追究。
   ↑新潮社の解説・あらすじ?には、こうあるが、……
設定は主人公の大学教授、そして俳句が趣味という上品な母親と独身で親孝行同居する……。
 

 解説、鶴羽 伸子
  『木枯らしの庭』を読むとき、私の脳裏に反射的に浮かぶのは、
  大岡昇平氏の自伝小説「少年」の一節である。
   少年の夢の見たなかに老婆に追いかけられるという場面があり
   その老婆が何か?(誰か)の象徴でその妄想をしているという部分だ
                   ↑  ↑  ↑、本書のこのあとがきにも内容不詳部分が... ... ...

中年で未だ所帯を持たない男性と母親との生活の中での心理を、ベターッと良い子で趣味の良い母親を描いている物語です。
 俳句が趣味の母親と、親孝行な大学教授である息子との生活は、穏やかでうまくいってるように見える。
 それなのに、何がこの題名の「木枯らしの庭」に象徴されるひとの深層心理のコンプレックスとジェラシッ〜の織り成すなか、この大学教授・剣一郎と僕の女性観察・評価の方式や感性などをダブらせ引き込まれ読み進めてしまった。
 孝行息子との快適な生活を守ろうとする母親。そのためには息子の幸せを犠牲にする母親の巧みさ、病的表現に慄然とした。しかし、形は違っても、似たようなことはどこにでもあるような気もします。
 愛してるはずの相手に、残酷な犠牲を強いていて平然としている。
 親が子に、その逆のパターン、夫婦間、兄弟姉妹、師弟間、、、。
人間の心理「愛情」ということ、それを表現すること、いま再び考えさせられています。 



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