2002年02月21日(木) |
巨岩と花びら(船越保武画文集 ちくま文庫) |
ものを見る目。 見たものを形作る姿勢。 見たものを形作る姿勢を語る言葉。
ひとがどう見えるのかを語る言葉。 ひとをどんなふうに見る自分であるのかを綴る文章。
自然の造形の前には卑小なひとの技。 巨岩を何にも優る時間の彫刻であると感じるこころ。
先刻亡くなった船越保武氏が70代に入り老い先短いと感じ始めた頃、主に新聞、雑誌に掲載された文章をまとめ、そこで話題になっている氏のデッサンや彫刻作品を10点収録したエッセイ集です。 これまで、その彫刻家としての仕事を「長崎26殉教者記念像」や田沢湖畔の「たつこ像」を写真で目にした、というふうにしか知りませんでした。 先日次女と話していたら、その作品を図書館で目にした次女が「船越保武さんの作品が好き」といいだしました。この文庫本を見かけた時、彼女に、と思って求め、 次女の世界を間接的にのぞき見るような興味もあり、先に読み始めました。
渓流釣りで自然のただ中にいる時、真の美しさに出会う時、彫刻とデッサンという 天賦の才を持つ人は、こんなふうに感じたり、感じたことを彫像という形の昇華させたりするのか、と造形的才覚皆無の私には新鮮な驚きでした。 そしてロダンへの憧れから出発して、ロマネスクの無名の石工たちの作品の丹念さ、素朴な生真面目さを尊しとするに至り、「複雑な思考に汚染されている」と自らをふりかえる姿を、氏のデッサンや作品に漂うの清浄な気品と重ねあわせてて見る時、そのひととなりの品格の一端にふれたように思いました。 それはまた「病醜のダミアン」の一節、「平凡なものを平凡に描いて、しかもその画面が、高い品格を持って人の心に深く沁み込むことこそが、作家の本来の姿勢でなければならない、と私は思う」にも連なってくることなのでしょう。
盛岡中学で同級、36歳で亡くなった友人で画家の松本竣介に寄せる思いの深さ。
友人の出版記念で「詩人の会」に参加した時のこと。思い切りふんぞりかえって「オレハ、タカハシ・シンキチデアール」と怒鳴った後「いかに出版祝賀会といえども、いやしくも詩人たるものが、人の詩集を、ただおざなりに、ほめるとは、何事だ、バカヤロー!」と言った高橋新吉を描写しつつ、「会の終わりに、草野心平さんが立って、『今日は、実にたのしい会でした』とスケールの大きなところをみせていた。」と結んでみせる洒脱さ。
これらが相俟って、学生たちからも慕われ続けたのでしょう。
東京芸大退官の時に学生たちから贈られた「卒業証書」を家宝にしているといいます。原文のまま引用されているものを孫引きします。
卒業証書 船越保武殿 貴殿は、東京芸術大学美術学部彫刻科に 於て、長年教職にありながら、およそ私 たち学生を指導、教育することなく、自 らの制作に励み、彫刻科の歴史に残る程 アトリエをコンパに、ディスコに、コー ヒーショップにと、フルに活用され、ユ ニークな教育のあり方を示されました。 その業をたたえ、当大学に於て、その課 程を立派に終了されたことを証明します。 昭和五十五年二月二日 東京芸術大学美術学部 学生一同 (東京芸術 大学学生 一同之印)
美術の学生には他学部には見られない奥深い美しさがある、と感じていた船越氏は「私は、美術学生たちの若い力に、ぶらさがって生きているような気がする。」と述懐します。
|