2005年02月02日(水) |
「上」とか「下」とかいうこと |
(今日の日記には誹謗中傷する表現や、不快な表現が含まれています。日常生活だけでもストレスフルという方は、読まれないことをおすすめします。)
給食を食べているときに、ある先生に聞かれた。 「5時間目は空いてる?」 「いえ、授業ですけど…」 「じゃあ、昼休みは?」 「空いてますよ。」 「ちょっと頼みたいことがあるんだけど…。」 「なんですか?」 「5時間目の道徳で、読み物資料を使いたいんだけど、コピーの途中で、印刷しといて欲しいんだけど」
絶句…! 何で私がそんなことしなきゃなんないの??? の思いが渦巻く。 「銀行に行かなきゃいけない用があってさ」
自分の授業の準備は自分でしなさいよねー。 なんで昨日のうちにやっとかないの? できないんだったらその授業あきらめて、自分で他のどうにかなる教材考えてよね! こんな直前に人に押し付けるなんて、非常識にもほどがある。
と、はげしく心の中で毒づきつつも、「昼休みは空いている」と言ってしまった手前断れない自分の気弱さがうらめしい。
そして、給食終了後、職員室に戻って絶句ふたたび!! B5サイズコピーがわらわらわら私の机上に置いてある。 「え?先生、何枚になるんですか?」 「いっぱい」
てめー!! 一時間で道徳で伝えられるのがどれほどのものか、よく考えろよ! こんな山ほどの資料、中1の彼らに消化できるわけないじゃないの。 しかも、私が読んだって内容があるようなないような曖昧模糊とした文章。 一体何がしたいんだよ…。
どうも、この先生、私を使用人か何かと勘違いしてらっしゃる。 私は、もとより上からものを言われると激しく反発を感じる性質だし、その上、心から尊敬できないこの先生にこき使われるなんて、本当に心外もはなはだしい。
教師の世界は上とか下とかないはずだと思っていた。 年功序列などなく、それぞれの性別、世代にそれぞれの持ち味と強みがあるって思っていた。
それでも、この先生には最初っから「下」に扱われている、という思いがぬぐえずにいる。 色画用紙を買っておいて、とか、ビニール袋を買っておいて、とか、普通の先生だったら自分でやるようなことを私に当然のそぶりで頼んでくるのだ。
しかし、本題はここから。 誰かを下に見るということは、人というものを「上」とか「下」で格付けしているということだ。 当然、その先生にとって「上」とみなされる先生がいる。 その先生に対する態度は、私から言わせると、“迎合”“追従”“盲信” 上の先生が言うことはすべて正しいのだそうだ。
いつか、私が心配だと言ったK君について、その時は 「あいつは絶対に崩れないって俺は思っている」 って言っていたのに、上の先生が 「K、最近様子が変だから、気をつけたほうがいい」 って言ったら、目の色かえて指導に入った。
判断の基準が主観なんだよ。 そういうことがあるにつけ、とっても絶望してしまう。 そして、この職員室にはこの先生以外にもそういう先生が多い。
物事の核心に迫る話しができない。 すべてはうわっつら。 適当に教育書にのっているような用語をわかった顔で並べ立ててみたり、自分の手柄を吹聴してまわったり、大きな声で文句を言ったりすること、そういうことが大事なんだって。
「人が見ている所で善行を行うな(善行は人に知られるためにやるものではないから、本当のよい行いと言うものは人の見ていない所で行われるものだ)」と教えこまれてきた私にとってはまったくもって、異次元ワールド。
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