2005年03月23日(水) |
河合隼雄『母性社会日本の病理』 |
教育関係の仕事をするうえで、河合隼雄さんは避けて通れないかたなのですが、お恥ずかしながら、初めてよみました。 そして、納得。 含蓄がある。 子供が、親が身をおく日本の社会の性質を、鋭く見抜いています。 慧眼の書です。
キーワード:母性社会 永遠の少年 ユング グレートマザー
日本の社会は「母性原理」に象徴されます。 「母性の原理は「包含する」機能によって示される。それはすべてのものを良きにつけ悪しきにつけ包みこんでしまい、そこではすべてのものが絶対的な平等性をもつ。「わが子であるかぎり」すべて平等に可愛いのであり、それは子どもの個性や能力とは関係のないことである。 しかしながら、母親は子どもが勝手に母の膝下を離れることを許さない。それは子どもの危険を守るためでもあるし、母-子一体という根本原理の破壊を許さぬためといってもよい。このようなとき、時に動物の母親が実際にすることがあるが、母は子どもを飲み込んでしまうのである。(中略)これに対して、父性原理は「切断する」機能に特性を示す。それはすべてのものを切断し分割する。主体と客体、善と悪、上と下などに分類し、母性がすべての子どもを平等に扱うのに対して、子どもをその能力や個性に応じて類別する。 極端な表現をすれば、母性が「わが子はすべてよい子」という標語によって、すべての子を育てようとするのに対して、父性は「よい子だけがわが子」という規範によって、子どもを鍛えようとするのである。」
「日本人の平等性の主張は背後に母性原理を持つために、能力差の問題はできるだけ目を閉じてゆこうとする傾向を持つ。あるいは、時にそれはタブーにさえ近い。それが完全にタブーとなった状態を、筆者は「平等信仰」と呼びたい。」
この観点でみると、確かに日本は母性的だよなー。 そして、その母性的性質に無自覚であることが危険だよなー。 まさに「平等信仰」というような現象が教育現場にはままあるのです。
本書の後半はかなり、ユング研究的な話になるので、1冊で二度おいしい、というと言い過ぎか?
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