2005年03月26日(土) |
寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』 |
自分には他の人にはないすごい力が秘められていて、無限の可能性があるんだ! って、根拠もなく信じることができていたあの頃に読んでおくべきだったな・・・。 あの頃の自分ならば、この本に書いてあることを希望に胸膨らませて信じることができたかもしれない。 この本を純粋に楽しむためには、私は年をとりすぎて、世界を、いや、自分を諦めすぎている。
なので、今までの寺山作品よりちょっと距離を感じながら読んだのですが、「不良少年入門」の章は楽しかった。
プレイボーイならぬ、ブレイボーイ(無礼ボーイ)のすすめ。
「ブレイボーイとは何か? ぼくの定義では、自由人。(多少困りものではあっても、のびのびと生きている男、ということになるのである)(中略)もっとも人間らしい生の実感を味わえるとき――それはポーズをとらなくてもいいという安堵感に支えられながら何事かに熱中できるときのことである。ぼくはポーズの効用を過信したくないと思う。
いや、むしろポーズこそ、キミをプレイボーイになるように追い込んだり、他人の思惑ばかり気にする主体性なき男をつくったりすることになるのである。」
プレイボーイにならないために提案されている方法・・・田舎弁を丸出しに
「(たとえ、いかなる女の子の前にいても、である。きれいな標準語はキミを平均的人間に見せるだけである。それをスマートだとか都会的だとかいうのはまちがいであって、いまや自分の本当の気持ちを伝えるのには、自分の昔から使っていた故郷のことばで話すのが一番いいのだ) 標準語は政治を語ったり、アナウンサーがニュースを読んだりするのには向いているが、人生を語るのには向いていない。 人生を語るのには方言が一番ふさわしい。」
自分のことを「わし」といい、「わし、ほんまに生の魚が好きなんやよー」と生まれの言葉を貫く人とつきあっています。
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