きよこの日記

2005年04月17日(日) 不易ということ

新しい年度、新しい学年、クラスが始まりました。
誰もがウキウキそわそわしている春の学校です。

「先生!なんで、2年の副担じゃなくて1年の担任なの?1年いーなー」
「先生、うちらのクラスの国語もつ?」
「きよこ先生の国語がよかったなー」
「先生、今年も先生の国語だよ!」
「また、きよこ先生の国語じゃなかった。絶対先生のがよかったのに・・・」

仲良く楽しく授業を作った子たちだけでなく、去年私にこっぴどく叱られた子たち、授業が難航したクラスの子たち、一昨年教えて去年は教えなかった子から、声をかけられて、驚きながらもとてもうれしい。

私が教師としてどうなのか。
私が、なんのために教えるのか、教師を続けるのか。
その答えは、やっぱり生徒の中にあります。
そのときはわかってもらえなくてもいいのです。
今、わからなくてもいいのです。
大人になってやっとわかることかもしれないです。
私は、時がたっても朽ち果てない大切なことを伝えていきたいと思います。

国語を教えるときにいつも思い浮かべる先生がいます。
中学1,3年の時に国語を教わった深田いくみ先生です。

そのころ私は「国語って暇だなあ」ぐらいでなんの感慨もなく過ごしていました。
もちろん、深田先生に対しても、“普通の先生”と思っていました。
だから、深田先生を目指したわけでもなく、国語大好きでもなく国語教師になってしまったのですが、いざ自分が教える段になって、思い浮かべるのは深田先生以外はいません。

同業者になってみて、自分が勉強してみて、やっと深田先生の授業でやった活動の意味やすごさがわかったのです。

深田先生はどうされているんだろうなあ。
高校時代一度お手紙して以来まったく連絡をとっていませんが、きっと今でも山口県ですばらしい国語教育をつづけていらっしゃるんだろうなあと思います。


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