2005年09月18日(日) |
正高信男『ケータイを持ったサル「人間らしさ」の崩壊』 |
とっても面白く、示唆にとむ一冊。 行動学者の筆者が、ルーズソックス、ひきこもり、パラサイトシングル、携帯依存症などを社会構造の変化による当然の帰結であることを、主にサル社会との比較によってわかりやすく解明します。
なるほどなあ、と、うならされました。 つまり、どの現象にも、「家の外」へ出ることを拒絶する、または、どこまでも「家の中」を敷衍する意識が根底にはあるというのです。 人間は、甘えの許される閉じた「家」で守られて成長し、やがて家から出て社会の中で自己実現していくものとされたが、今日、その時は遅くなってきているというのです。
しかしながら、この本は単なる「だから今の社会は狂っている。昔の社会はすばらしかったんだ」という懐古本ではありません。
私が本書ですごく興味を持って読んだ箇所です。 「母親は子どもがある程度大きくなるまで、育児に専念すべきか否か」は、ここ半世紀のあいだ先進国での大きな論争の的となってきたテーマである。子どもを家に残して母親が外へ働きに出るのは、子にとって悪影響をもたらすのか否かについては、いまだ決着をみていない。(中略) しかしながら面白いことに、母親が専業主婦であることが子どもにとって悪い影響を及ぼすか否かという議論は、ついぞ行われてこなかった! 家に子どもとずっといてやることは、無条件によいことだとみなされてきた。その点で、本章で紹介した実験の結果には注目すべきものがある、と私は自負している。母親が外で働く機会を持たないなら、加齢に伴って早期に社会的かしこさを失う。それは、子どもとの信頼関係の形成を困難にする。おのずと、母親はモノでこの歓心を買おうとする。子がそこへつけ入る。 結果として、子離れできない母親と、母親離れできない子どもの「カプセル状態」が誕生するのだ。時間が停止したかのような状態が、家庭内に生みだされる。」
今日的な「家の中主義」は、半世紀前の専業主婦の誕生そのものが萌芽ともいえるのだという・・・・まじっすか。
私は自分は結婚して子どもを持ったら専業主婦になり、子育てと家事に専念するんだ、それがすなわち幸せな家庭作りにベストなチョイスだと今まで信じて疑わなかったんですよ。
うーん。確かに、社会とのつながりがなくなって数年たった後に、自分が今以上に正しい判断力と実践力、知的な創造性を持ちえているとは考えづらいよなあ。 のほほんと朗らかで害のない人にはなっているとは思えるけど、しっかりと子どもにダメなことはダメと言い、体をはって壁になることができるだろうか?
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