2005年09月29日(木) |
三田誠広『17歳で考えたこと』 |
読み始めてすぐに、良書であることを知る。 感触というか直感というか、どんどんはまる感じがびしばし。 こういう本と出会うのは久しぶりです。
そして、出会ったこの記述。 わかった。私の問題の根本が。
キエルケゴール『死に至る病』の斎藤信治訳 絶望者は何かについて絶望する。一瞬それはそう見える。しかしそれはほんの一瞬間だけである、--その同じ瞬間に真実の絶望がすなわち絶望の真相が示される。彼の何かについて絶望しているのは本当は自己自身について絶望しているのであり、そこで自己自身から抜け出ようと欲するのである。かくて支配欲のあるもの――この男の標語は「帝王かしからずんば無」である――が帝王にならない場合、彼はそれについて絶望する。だがそのことの真の意味は別のところにある、――すなわち彼は帝王にならなかったが故に、彼自身であることが耐えられないのである。だから彼は本当は自己が帝王にならなかったことに絶望しているのではなしに、帝王にならなかった自己自身に絶望しているのである。
筆者の解説。 帝王に憧れるものは、「帝王でない自己」であることが、耐えられない。そこで彼は、自己自身から逃れようとする。つまり、いまある自己は本当の自己ではないと考え、本当の自己自身になろうと夢見ることになる。これが「絶望的に自己自身であろうと欲すること」である。 つまり「絶望的に自己自身であろうと欲しないこと」と「絶望的に自己自身であろうと欲すること」とは、結局は同じことである。 もちろん、誰もが帝王になれるわけではない。しかし、何らかの願望を持たない人間もいないだろう。 恋愛は、多くの人間の一般的な願望である。ここでは「帝王」のかわりに「恋の勝利者」と置き換えてもいい。 失恋を嘆くものは、恋人が去っていったことではなく、「愛されなかった自己」であることに絶望するのだ。そして彼は、恋人から愛されるはずの「本当の自己」に憧れることになる。 私はいつも満たされない気持ちを抱えている。 いつも今の自分では満足できなくて自己嫌悪したりしている。 人に褒められても、生徒に好かれても、なにを成し遂げても、どこかそれは他人のことのように実感を持って感じられない。 すべては「帝王かしからずんば無」の思想がそうさせているんだ。
ないものばかりが気にかかり、私に与えられているものに感謝することができないから私は幸せを感じられないんだ。 吾、唯足ることを知る。 そんな心境にいつかなれるんだろうか?
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