AETのカトリーナに三島由紀夫の短編集の英訳版をプレゼントしたの。 今まで、カトリーナに本を紹介したりされたりして、文学の話をかなり深くまで話せる人だって感じていて、ぜひ三島由紀夫の作品の感想を聞きたいって思ったんだ。
そしたら、カトリーナほんとに気に入ってくれて、他の作品も紹介してくれ、って、さっそくAMZON.COMで『SPRING SNOW(春の雪)』を注文していた。 私も、感想を交換できるように『春の雪』を読むことを決意した。
ほんとは、まだ読まずにとっておくつもりだったんだけど・・・。
『春の雪』に始まる、豊饒の海4部作は、三島由紀夫にとってものすごく意味のある作品だ。 彼はこの4部作を書き上げた数日後に割腹自殺をはかっていることからもわかるように、小説家としての集大成の作品と言えると思う。
だから私は他の作品をすべて読み終えて、最後の最後に読もうと思ってたんだけど、同じ気持ちで三島由紀夫を読む人と同じタイミングで作品を読み、感想を好感できるチャンスなんて、もう二度とないかもしれない。 ということで、思い切って読むことにした。 (実は『春の雪』が映画化されて、あらすじとか耳に入ってきてしまうくらいならば・・・という思いもあるんだけど)
それはさておき、カトリーナと話していて本当に「朋遠方より来るあり。亦楽しからずや」という『論語』の一節の心境です。 同じ嗜好の友だちと、他の人とでは話せないマニアックな話をして、しかも共感できる喜び。 言葉を超えて、本当にかけがえのない人です。
カトリーナは村上春樹と三島由紀夫はよく似ていると、と言った。 この二人が他の日本人の作家と違うのは、小説を書くときに、作家である自分と作品の登場人物がデタッチしている点だ、と。
「日本の社会では個人は成立しにくく、常に自分を構成するグループと個人が密着した状態であって、それはアメリカが個人というものをすごく尊重するのと対照的。 その中にあって、この二人の作家は個人というものを描こうとしている感じがする。 ただし、三島由紀夫は非常に理知的に意図的にそれを試みていて、村上春樹はむしろ感覚的にそれを行っているという点では異なるけれど。」
このカトリーナの言葉を聞いて、激しく同意。 と、いうのも、ちょうど読んでいた『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』という対談集で村上春樹が言っていたことと、不思議なくらい類似していたから。
「日本にいる間は、ものすごく個人になりたい、要するに、いろいろな社会とかグループとか団体とか規制とか、そういうものからほんとに逃げて逃げて逃げまくりたいと考えて、大学を出ても会社に勤めないし、独りでものを書いて生きてきて、文壇みたいなところもやはりしんどくて、結局ただ、ひとりで小説を書いていました。」
「僕が小説家になって最初のうち、デタッチメント的なものに主に目を向けていたのは、単純に「コミュニケーションの不在」みたいな文脈での「コミットメントの不在」を描こうとしていたのではなくて、個人的なデタッチメントの側面をどんどん追求していくことによって、いろんな外部的価値(それは多くの部分で一般的に「小説的価値」と考えられているものでもあったわけだけれど)を取り払って、それでいま自分の立っている場所を、僕なりに明確にしていこうというようなつもりがあったのだという気がします。」
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