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■ 霞立つ
Kがうまれた時に思ったのは、赤ちゃんって、考えていたよりずっと動くことができないんだな、ということだ。
新生児にも動きはあるし、声もある。 手を動かしたり、足を動かしたり。 首をぐるぐる自在に動かしたり寝返りを打ったりすることはもちろんまだできないけれど、ごく近い距離に手をかざしてゆっくり左右に動かしてやると、ちらりと黒目が動くのがわかる。 うまれたばかりの頃は、胎児のように腕を身体にぴったりとくっつけてちぢこまっていたが、1週間ちょっと経った今は、小さいばんざいのように胸を開いている。 頭も、少しなら左右に動かせる。 たぶん他にもいろいろ。
というようなことを、霞立つ日にうまれたOを通して知った。
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うまれた子には名前がつく。 Oがおなかの中にいた時の名前はKが決めた。それはそれで悪くはなかった。 命名にあたり、本当はその呼び名に通ずるような名前を付けられたらよかったのだが、ちょっと付けにくい音だったので、全く違う名前を選ぶことになった。 いま、OはOという名前を持つ人であって、おなかの中で呼ばれていた名の人ではない。 あの呼び名を呼ばなくなることは、不安で幸せな時間とお別れすることでもある。まぶしいような、さみしいような気持だ。出産した病院を退院する時の気持に似ていると思った(いろいろと楽しい入院生活だったので)。 今はみんな、2つの名前を呼び間違うこともないけれど。
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というわけで、家族が増えました。 今後はアルファベットでOと呼びます。 女の子です。りー氏に似ていると母も私も思うのですが、本人は「そう?」と言う。 ひょんなことからえらくお早いお越しだったのですが(週数も、所要時間も)、まあそれもまた今となっては楽しい思い出です、ということにいたしましょう。 Oのお世話もさることながら、Kとの新たな、そしてより深い関わりを模索しているところです(1月から途中入所していた保育所と、両親には助けられています…)。 あ、りー氏もがんばっていると思う。励ましのお便りを(笑)。
2010年02月19日(金)
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