星降る鍵を探して
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2003年10月01日(水) |
星降る鍵を探して4-4-9 |
少女を白衣の中に隠した長津田は、ぎこちない動きで鍵を開けた。すうっとカードが音もなくスロットに飲み込まれ、そして吐き出されてくる。それをポケットにしまって、ノブに手を添えると、ノブは今度は何の抵抗もなく下に降りた。既に聞き慣れて感知もしなくなっているあのリィリィいう音と、地球儀の回るヴ……ンという音が、扉の向こうの冷たい空気と共に押し出されて来る。そしてあの破裂音がはっきりとした銃声となって長津田の耳を打った。 そこは階にすれば五階だった。 扉を開くと、すぐ目の前に手すりが見える。ちょっとした体育館のようになっているその巨大な空間には、一階ごとにベランダのような手すり付きの通路が作りつけられていた。視界一杯に、地球儀が立ちはだかっていた。目の前にちょうどアフリカ大陸の喜望峰の辺りが見えている。狭い廊下に足を踏み出すと、白衣の中に隠れた少女が上手い具合についてきた。少女は小柄で、長津田は大柄な割に細身だから、彼はいつもぶかぶかの白衣を着ている。少女はその中にすっぽりと収まっているから、ちょっと見ただけでは少女が隠れているなんてわからない。 バン! 一際近くで銃声が轟いた。 長津田は視線を走らせた。地球儀に傷はついていない、ようだ。その動きもよどみなく、故障している様子はない。 彼は目の前にある手すりに手をついて、叫んだ。 「何をしてる! こんなところで銃器を使うな!」 その声は広々としたその空間にひどく大きく響いた。 銃声が止んだ。辺りに沈黙が落ちてきた。長津田の白衣の中で、少女が身じろぎをした。が、長津田は黙って仁王立ちになったままだった。ややあって、正面の、二階ほど上の足場に人影が動いた。地球儀の影からゆっくりと、黒づくめの男が姿を見せる。男は長津田の姿を認め、はっきりと顔をしかめた。しかしそれは一瞬だった。男は即座に表情を消した。右手に黒光りする銃を持っているのがここからでもよく見える。 「――邪魔をしないで頂きたい」 ややかすれた、どちらかと言えば高めの声が降ってくる。そして男は空間の中に視線を走らせて、にっ、と笑った。 「今いいところなんですから」 「何を言ってる? こんなところで、」 「先生!」 男は言いかけた長津田の言葉を遮った。 「危険ですから、下がっていなさい。今凶悪犯を駆り立てている最中です」 「凶悪犯?」 「そうです。危険な男です。もう少しで捕まえられるところだったのに、あなたは全く何だってこんなところに紛れこんだんですか? ご自分の部屋で研究でもしておられればよかったのに」 「何を――」 言ってるんだ、とつなげようとした長津田は、その言葉を全て飲み込むことになった。いきなり頭上からひとりの、黒づくめの男が降ってきたのである。それは大柄な男だった。一階上の手すりを軸にして長津田のいる階に飛び降りてきた男は、床で一度着地して、そして体当たりを仕掛けてきた。それは長津田の目にはほとんど捉えられないくらいの素早い動きだった。避けることなど思いも寄らなかった。長津田は体当たりされるままに、先ほど入ってきたばかりの扉を抜けて廊下に倒れ込んだ。地球儀の向こう側にいる男が銃を発砲したのが聞こえたが、当たらなかったらしい。 「すみませんね」 体当たりしてきた男は長津田の上をやり過ごして廊下で器用に受け身を取った。バン、と再び銃声が聞こえたときには扉の影に移動していた。長津田と変わらないくらいの巨体なのに、その大きさをほとんど感じさせないくらいの素早い動きだ。長津田は仰向けに倒れたまましばし呆然としていた。正面の、地球儀の陰から顔を覗かせている男が、こちらに銃を向けながらひどく壮絶な表情をしたのが見える。
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新名克は扉の陰で、やれやれ、と息をついた。ようやくあの忌々しい、広々とした場所から抜け出すことが出来た。どこの誰だか知らないが、この研究者には感謝しなければならない。 研究者は何が起こったかわからない、というように、尻餅をついた状態で呆然としている。克はしかしそのままきびすを返そうとした。この男が誰にせよ、白衣を着ているからには敵に違いないし、そもそもこんなところでぐずぐずしている場合ではない。しかしきびすを返そうとした克の目のすみに、ちらり、とおかしなものが映った。克は思わず振り返った。何だ今のは、と思った。白衣が、この研究者の着ている白衣が、もぞもぞと動いたのである。 「だ、ダメだ、出たら」 座り込んだままの研究者がそのもぞもぞを抑えた。何か大きな猫でも隠しているのだろうか。さっき転倒したときには、上手く研究者の巨体をやり過ごして下敷きになるのは免れたようだが、それでも男が尻餅をついている状態だからとても窮屈らしい。克はつい好奇心を起こして扉の陰から顔を出し、尻餅をついている研究者の姿を見た。 白衣の下から、黒いジーンズと黒いスニーカーを履いた小さな足が二本、飛び出している。 バン、と、その足のすぐそばで弾が跳ねた。桜井もこの足の存在に気づいたのだろう。克は思わず扉の陰から飛び出した。考えている暇はなかった。この足がなんにせよ、この扉を閉めるのが先決である。 「出たらダメだって――わあっ!?」 研究者が悲鳴を上げる。それもそのはず、克は研究者の首根っこを掴んで力任せに引きずったのである。研究者の巨体が廊下を滑った。扉の前がようやく開いた。足で扉を蹴り閉めながら、克は白衣の下でじたばたしているその小さな足を引きずり出した。出てきたのは小柄な少女だった。長い黒髪がこの騒ぎで散らばってざんばらになっているが、それは紛れもなく、 「マイキ!」 克はマイキの髪をかき分けた。それは紛れもなくマイキだった。マイキはようやく息が出来ると言うようにふるふると首を振り、大きく息をついた。黒い瞳が克を認め、そして緩んだ。安心したのだろうか。 「何……やってんだ、お前」 克は呆れて訊ねた。まったくそれ以外に言葉の出しようがない。マルガリータについていった、と圭太は言っていた。だから克は、今もあの丸刈り男と一緒にいるのだと思っていた。それなのに何故こんなところで、敵方の研究者の白衣の中に潜んでいたのだろう。
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