しんとした部屋の中。母は横たわっていた。 先ほどとは違い、ばら色の頬をした母の姿が見える。 「エンバーマーと呼ばれる業者さんが居るんだって。かおりさん、お化粧したほうが喜ぶかな」 男の去った個室で、優が口にしたのはそんなことだった。 「いっつも綺麗にしてたでしょ。やっぱり、綺麗なほうがいいかなって思うんだけど……他の人がかおりさんに触るのが嫌なんだ。葛藤中」 瞬はぼんやりと母の姿を見ていた。記憶の中の母はいつもはつらつとした美人だったと思う。多少の身内びいきは入っているが。 「綺麗にしてもらおう。だって、明日もあさっても、母さんはいろんな人に会わなくちゃならないんだ。明日も綺麗でいたいって思うよ、きっと」 「うん……業者さん、男の人じゃないといいな」 そう言って微笑む優の腹を軽く殴る。 「すっげー独占欲?」 訊けば頷いて「すっげー独占欲」と返された。 この人に出会えただけでも、母はきっと幸せだったに違いない。短い夫婦生活でも、優は全力で母を愛していたんだと感じた。 母には家から持ってきた淡い色合いのスーツを着せてもらった。一旦園に帰った優が抱えてきた沢山のペーパーフラワーは、話を知った園児たちが、母の逝く道が明るく照らされるようにと明るい色の紙で作っていてくれたのだという。折り紙で出来た財布に間違いだらけのブランド名が書いてあるのには笑ってしまった。棺には楽しげなものを沢山詰める。 スーツ姿を見たことすらなかった父が、一足飛びに喪服を着るのを見るなんて思ってもいなかった。毅然とした態度で通夜も告別式もこなし、途中入れたもののせいで棺が閉まらなくなるというハプニングもあったが、家族二人だけで火葬場へたどり着く。 やらなくてはならないことが多すぎた。体が要求しているから食べ、眠るという行動はしていたものの、心はどこかにおいてきたようだった。 「ごめん、ちょっと……無理かも」 そう言ってしゃがみこんだ父を慌てて覗き込む。熱気とともに母が出てきたときだった。 声を押し殺したまま、優は泣いていた。つられたように瞬の目も潤む。 そうだ、まだ泣いていなかった。 係りの人は静かに待っていてくれた。やっとのことで優が立ち上がり、ぐちゃぐちゃの顔を袖口でぬぐう間も、二人の手が震えていて骨が骨壷から零れ落ちてしまっている間も、静かに待っていてくれた。 整えられ、綺麗な白い壺に収まった母に、優はとてもやさしい仕草でキスをした。 少し壺が桃色ががってみえる。まるで母が照れたかのようだ。移りこんだピンク色の花は、庭に咲いているのと同じ花だった。
「墓石、何色にする?」 優はここ最近墓石のパンフレットばかり見ている。 「ランドセルじゃないんだから。普通のがいいんじゃない」 「だって、かおりさんのだよ。この家見てたらやっぱりカラーのほうがいいかなって思ってたんだけど」 確かに母はかわいらしい色合いが好きだった。バリバリのキャリアウーマンな外見と裏腹にかわいいものに目が無かったのだ。 おかげで家は全体的にフリフリだ。ちなみに今日の優のエプロンもフリフリつきだった。 「じゃぁ、この程度」 一応白とピンクの石が混じっている花崗岩を指し示す。 「そうだよね。あんまり明るい色って無いから。……いくつか見積もりを取り寄せてみるよ」 楽しげにそういいながら、カウンターキッチンの向こう側で鍋をかき回している優を見ながらパンフレットをめくったそのときだった。 くぐもった声を上げて、優が身体を折る。シンクに放りだされたお玉が金属質の音を立てた。 「優さん!?」 慌てて駆け寄り、倒れそうな優の身体を支えて座らせる。 「気持ち悪い……ええと……悪阻かも」 「そんなわけの分からない冗談はいいから。吐きそう?」 優は何か言いかけたが、頷くにとどまった。近くのゴミ箱を優に渡すと、掴むようにして嘔吐する。 「ちょっと……いつから調子悪いんだよ」 吐いたものがどす黒い。ついで吐き出されたものは血としか思えない色をしていた。 思わず服を剥いで腹の辺りを見たが、あざも何もない。荒い息をしている優を何とか横にさせると瞬は救急車を呼んだ。 病院は嫌いだ。
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