あの日の朝もこんな天気だった。 快晴に近い空、なぜか人気の無い町。正月かと思うような雰囲気に包まれた町。何でも無い日だったはずだ。 部活の朝練が無くなって、久しぶりにのんびりとした朝の時間を過ごしていた。新しい父が作る手の込んだ朝食を食べながら、晩に外食しようと話をしていたのも覚えている。 いつも以上に満ち足りた朝だった。もう一度あの日に戻れたとしても、同じ朝を望むはずだ。けれど。
「瞬くん……」 病院の入り口で出迎えた優は、いつに無く厳しい表情をしていた。 二時間目の途中で受けた知らせは「母が交通事故に遭った」ということだけ。呆然とする背を押してくれたのは、幼馴染でクラスメートの押尾だった。手には彼から借りた財布すら握られている。 「だめだったよ」 「だめって」 優は唇を噛んだ。 「今さっき、向こうへ行ったんだ」 瞬は優を押しのけて病院へ入った。 そんなはずは無い。母があっけなく死ぬなんて信じられなかった。研究所に行くと言っていたじゃないか。いつも使うスクーターになんて乗らず、バスで向かったはずだ。何よりも安全な道程だったはずじゃないか。 いつの間にか隣にたった優が瞬を一つの部屋へと連れて行った。 病室だった。テレビなんかで見る無機質な霊安室ではなく、日の光が入る個室。カーテンが揺れて、外からは子供の声も聞こえる。 瞬が母の顔に掛けられた布に手を伸ばそうとすると、それを優が止める。 「……もう、痛くないからね。だから、驚いてはいけないよ」 それが、母の顔が損傷を受けていることを告げていた。見るなといわない辺りが、優が既に自分の父親として其処に居るのだという実感に変わる。 もとの顔は分からなかった。それでも形を残している額や、頬、右目の端に指を這わせる。くらりと頭が揺れる。優が隣で身体を支えてくれなかったら、その場に倒れこんでいただろう。 「かあさん」 そう言って、冷たくなった手を握った。その手も傷だらけだ。 突如、傍らの雰囲気が変わったのが分かった。 振り返ると個室の戸を開けたところに一人の男が立っている。母を撥ねた車を運転していた人物の弁護士だという。 「先ほどの話の続きなら、何度言われても首を縦に振ることなどありません」 優がそう言って男へ近づいた。 「破格の金額ですよ。これからの生活もあるでしょうし、裁判や何だと手続きに追われるよりも、裁判で得るより高額の金額を受け取られたほうが良いのではありませんか。そのほうがかおりさんも喜ばれ」 男は最後まで言い切ることが出来なかった。 優の手が男の口を塞いだからだ。 「それ以上その口を開くな。お前に呼ばれる名などかおりは持ち合わせていない。氷室へ伝えろ。正規の手段で糾弾する」 こんな声を出す優を、瞬は知らなかった。音も無く手を下ろすと、乱暴にズボンで手のひらをぬぐう。 「うちは示談金やら賠償金やらで補填してもらわなくても結構」 「保育士の薄給で息子さんを大学にまでやれるとでも?」 優はそれは綺麗に笑みを浮かべた。 「汚い金は命を購うことにすら使えないのでしょう? 瞬だけじゃない、私たちのどの人生にもそんなものは必要ない」 男は更に口を開こうとしたが、その前に優が乱暴にドアを開けた。 「お気をつけて」 そう言って笑う姿に、笑みのほうが恐ろしい場合があることを知った。
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