カードに再び目を落とす。 「研究室で働いていたんだよ。かおりさんは保育士ではなく、小児科の医師だった」 なんといってよいのかわからずに口を噤んでいると、優が更に話を続けた。 「大学を卒業してしばらくは勤務医として病院に居たらしいんだけど、その後は重病患者のいる小児施設で働いていたらしい。数年前に研究所での勤務をはじめて……託児所が出来たんで交流会をしたってわけ。それまでは子供断ち状態だったらしくて、かおりさんしょっちゅう託児室に来てたんだ」 瞬はカードを返し、ベッドへ直接腰掛けた。 「隠す必要とか、無いんじゃないの? なにか怪しげな研究とかしてたわけ?」 「まさか」 慌てた様子で首を振る優に「分かってるって」と返した。優も苦笑いを浮かべる。 「ちょっとしたいたずら心でさ。かおりさんの知り合いに紹介されるたびに、ああ職場結婚ね、みたいな雰囲気になるもんだから。それを過ぎたら言い出すタイミングをつかめなくて」 「……今思うと……たしかに自分が保育士だとは断言してなかったかも……なにやってんだよ、かあさん……」 照れたように笑う優にため息を一つ落として、瞬は更に先を促した。 「かおりさんも結構ノリノリで。職場で出会ったんですなんて言うするから段々とエスカレートしちゃってさ。ごめんね。瞬君には話しておくべきだったかなって思ったんだよね。その……倒れたときにさ」 「万が一を考えたってわけ?」 声が低くなるのは仕方ないと思って欲しい。母の死はまだ色濃く記憶に残っているのだから。 「……うん。何が、起きるか分からないって、実感した。そしたら、秘密なんてあったってなんの特にもならないって分かってさ」 優はカードをしまうと、指先をむやみと動かしてうつむいていた。 「薬もちゃんと飲むよ。これからは、自分の身体のことも考える。自分が死ぬなんてこと考えたことも無かったけど、正直死ぬことが怖いとかも考えたことが無かった。でも、考えるよ。僕は、君の父親だからね。よぼよぼの爺さんになって死ぬまで、絶対に死なない」 「何が起こるかわからないんでしょ」 「わからないよ。でも絶対に死なない」 「絶対なんてありえないじゃん」 「ありえないかもしれないけど、僕と君の間ではありえるんだ。一つ隠し事をしてしまったからね。僕は「絶対」で報いるよ」 「なんだよ、それ」 瞬は泣き笑いのような声で答えた。 「僕達は血はつながってない。それは僕が泣き喚いて願っても無理なことでしょ。でも、その代わり、ありとあらゆることで繋がるんだから。繋げてみせるから」 泣きそうになった瞬の頭を抱えて、優は大きく深呼吸をした。 「もう、したくないんだ。もっと早く車を手に入れておけばよかったとか。あの日一緒に研究所まで行けば良かったとか。隠し事なんてしなければよかったとか。そういう後悔は、もう、したくないんだ」
「ねぇ。もしも。もしもだよ」 優は、しばらく経ってからそう口を開いた。 「もしも、明日世界が終わるかもしれないとして」 「うん?」 「今日一日を過ごしなさいって言われたら、どうする?」 なぜ突然そんなことを言い出したのだろうと優を見遣れば、やけに真剣な目をしているので思わず目をそらした。 「……わかんないよ。やりたいことだらけで、一日じゃとてもじゃないけど足りない」 本音だと今でも思っている。学校のことも、遊びのことも、将来のことも、母の墓のことも、もちろん優との生活も。全てが未来に向かって伸びていると思っていたのだ。突然終わると告げられても、優じゃないが後悔ばかりが残るだろう。 素直にそう伝えると、優は「僕もだ」と返して笑みを浮かべた。 「でも、まずは生き残る方法を考えるかな。まだ死にたくないし」 瞬が続けた言葉に、優は一瞬息を呑んだようだった。 そして、この一言が全てを決めるなんて、その時は考えもしなかった。
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