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■ 南駅にて
フランクフルトの南駅には、電車の他にバスと市電の停留所がある。
一年前の今頃、まだ明るい午後の昼下がり、私は市電の来るのをまっていた。私からほんの少し離れたところで、ベンチに座ってバスを待っていた初老のドイツ人女性が、ふいに私に話しかけてくれた。
「あなた、日本人?」
人に話し掛ける事も、話し掛けられる事もまた、私は好きだ。相手が身なりの整った御婦人であれば、恐ろしいことも起きないだろうから、なおさらに嬉しい。
「はい、そうです。バスも遅れてるみたいですね。」と答えてみる。
彼女もまた、嬉しそうに答える。
「どうしてもわからないことがあるの、教えてもらえないかしら、たくさん本を読んでみたんだけれど、どうしてもわからないの。」
知らない人と話をするのはとても楽しい、まして、役にたてるかもしれないならなおさらだ。弾んだ調子で私はたずねた。
「私でよければどうぞ、日本のことですか?」
彼女はとても喜んで、後に続いて話だした。それはとんでもない質問だった。
「あのね、」
「はい。」
「禅って、何かしら?」
「!」
ほんの数分、バスを待つだけの時間のなかで、よりによって母国語で問われてもわからないような質問を、期待を内に秘めた高揚する表情で問われ、私はその場に座り込んでしまった。
「う〜ん‥そ‥うですねえ、なんていうのかなあ‥」
何本のバスと市電を、お互いに見送ったことだろう。 私達は、必死だった。いや、少なくとも私は必死だった。答えられなかった。でも、誠実に彼女に向かい合いたいと言う気持ちはあった。
聞けば、彼女は日本の茶道に関心があるという。そして、それに関わる書物をみると、必ず「ZEN」という言葉にぶつかり、つまづくそうだ。
考えあぐねた挙げ句に、私は答えた。
「正確な定義は、私にはわからない。でも、その感触を説明することだったらできるかもしれない。そんなのでもいいかな..」
彼女は喜んで、「もちろん。」と答えた。
「たぶん‥『そこに無い』ということが、実は、『無限にそこに有る』というような事なんだと思う…そして、それを感じることかもしれない。」
やっとの思いで、そんな風に答えたように思う。彼女は、何かを考えているようだった。それからセキを切ったように話だした。
「ティーセレモニーに関わるものの雰囲気が好きなの。少しずつ集めているのだけれどワビザビの良さという言葉をよく耳にするの。辞書でみると、『みすぼらしい、めだたない』というような事があって、ネガティブなのかポジティブなのか、わからなかったのよ。なんだか関係があるような気がしてきたわ。またお茶会があるから、あなたの話してくれた事を、仲間にも話してみる、きっとみんな喜ぶわ。ありがとう。」
ちょうど彼女のバスがきて、杖を片手に笑顔で彼女は去った。
‥あれで、良かったかな‥‥違ったことをいっちゃったかもしれないな‥
ふいに投げかけられた質問に、一瞬、私は自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。ベンチに座って冷えた膝をさするとポケットに赤い飴玉をみつけた。
口の中に缶詰めのさくらんぼの様な甘さが広がる頃、ちょうど私の市電もやって来た。
暖かな座席に腰掛けホッと息をつく。
隣り合って話をするということは、たとえ答えがみつからなくても、やっぱりとても素敵なことだなと思う。
2004年02月13日(金)
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