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■ 樹のおはなし
去年の夏、とても悲しいメールを親しい友人から受け取った。
「たくさんの友人や大切な人との別れがつらい。わかっていることなんだけれど、自分をどうすることもできないんだ。」
私達はどんな時も、たとえそれが下らない愚痴であったときでも、最後には、「まあ、なんとかなるよ」と互いに笑いあってきた。
けれど、その時のメールだけは、今までの彼の様子とは違うものだった。
私にはかけられる言葉がなかった。
彼はもう充分によくわかっていたのだ。
それが、さけられない数々の別れだったこと。その先へ向かって歩き出さなければならないこと。
それが、自分の選んだ道だったということ…。
だから私は、何も彼に言ってあげることができなかった。
それは、そこに、そうあるべき悲しみだった。
人生には数え切れない喜びがあるけれど、同じだけの裏側の出来事がどうしても起きてしまう。
そんな時、友として私に出来ることは、ただそのとめどない心の揺れをを見守ることだけだった。
それからしばらくして、あるとき、私の中に彼におくる言葉がふっと姿をあらわした。
それは手紙というわけでもなかったけれど、私は彼にその言葉を返信した。 彼は、ゆるやかに喜んでくれた。
あれから、何ヶ月もの時がたち、私もまた長い冬を経験した。
長い、長い冬だ…。
私は今日、この冬を手放すことにきめた。
季節はまだ春を迎えていないけれど、もう冬は終わりだ。
新しい季節を迎えるまでの、姿のない空白の時。
友へ贈った言葉を、自分の胸にも贈り、
立ち止まっても、振り返っても、
最後には、
前へ、前へ…。
樹のおはなし
樹はその一生の中で、いったい何回葉っぱたちとお別れをして、また新しい葉を迎えるのでしょう?
すずなりの花や、緑たちにかこまれているとき、樹はとってもうれしくて幸せであるに違いありません。
けれど、その幸せを手放す時が、何度でも訪れます。
きっと、何度その瞬間を迎えても、何度でもさみしい気持ちになるのでしょうね。
そして、花も緑もなく、ただ自分のからだだけで冬を迎えるとき、樹は、ほんとうに悲しくて悲しくてたまりません。
ひょっとしたら、外側からは、今にも死んでしまいそうなほどに悲しげに見えているかもしれません。
でも…
ほんとうは、その内側で、誰にもきづかれないようにひっそりと、新しい花々や、緑達を迎えるための準備が行われています。
樹は、そのことを知らないので、ただただ寒さに震えて、何度も何度も泣いてしまいます。
もうこれ以上悲しみようもないくらい、寂しい気持ちになったあと、ううん、ひょっとしたら、自分が寂しい気持ちでいることさえも忘れてしまうくらいに大きな孤独の中にいるころ、思いがけない程にさりげなく、また、新しい花と緑達がそっと訪れます。
そうやって、いくつもの季節を迎えながら、樹の一生はゆっくりと過ぎていきます。
2004年03月06日(土)
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